著者
菊地 和博
出版者
東北文教大学・東北文教大学短期大学部
雑誌
東北文教大学・東北文教大学短期大学部紀要 = Bulletin of Tohoku Bunkyo College Tohoku Bunkyo Junior College
巻号頁・発行日
vol.1, pp.65-81, 2011-03-31

はじめに 菅江真澄は三河国出身でのちに羽後国秋田に住み着いた江戸時代後期の旅行家・民俗研究家である。真澄は江戸期の東北各地の豊作祈願の芸能について詳細な説明文や写生図を残している。その中には伊達藩の「胆沢郡徳岡田植踊」(現岩手県奥州市胆沢区)をはじめ、八戸藩の「八戸田植踊」・「八戸田植唄」(現青森県八戸市)、南部藩の「田名部県田殖躍唄」・「田名部田植え唄」(現青森県むつ市田名部)などが記録されている。本稿ではこの中で特に「胆沢郡徳岡田植踊」の内容をもとに、現在の東北4県の田植踊りや八戸市周辺及び岩手県北部のえんぶりとの関連や相違点の比較分析を試みた。そのことを通して、「弥十郎」「藤九郎」「えぶり(えぶりすり)」の役柄などを含め江戸期以来の東北の豊作祈願芸能の全体構成を明らかにしようとしたものである。

言及状況

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@konno_nogi @imari1121 横から失礼します。かつては八戸に限らず、南部の田植踊系芸能に広く「藤九郎」が見られたようです。当時は芸能をする人の代名詞的なものだったのかも知れません。 「ゑんぶりすりをここ(下北)にて藤九郎といひ、仙台にてはやん十郎といふ」(菅江真澄『奥のてぶり』) https://t.co/QbrJcg1y6T

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