著者
加藤 彰彦
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.67, pp.203-233, 2019-03-25

アンドレ・ブルトンの『ナジャ』において、ナジャの物語の最後でナジャの不在を意味するブルトンの発言がある。ナジャの不在とはいいながらも、ナジャが実在した人物であることは明らかになっているが、それでは何故ナジャの不在が語られるのか。それについて考察したのが本論考である。第一部において、ジェラール・ジュネットの物語論に依拠しながら、語り手と聴き手の位置関係に注目し、当初は語り手であったブルトンが、本来聴き手であったナジャに取って代わって最終的には聴き手も兼ねるという一人二役を演じている構造を明らかにし、ナジャの不在をテキスト上から論証した。次に、第二部において、ラカンの理論を援用しながら、ナジャはブルトンの自己同一性のための鏡像であること、更にヒッチコックの『サイコ』を例にとりながら、主体が対象と同一化し、対象が消滅しても、超自我的な声によって支配される点を明らかにし、ブルトンはナジャの消滅後もナジャの声によって支配され、それによって主体として維持されるという風に結論付けた。

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