著者
鶴田 武志
出版者
名古屋短期大学
雑誌
名古屋短期大学研究紀要 = Bulletin of Nagoya College (ISSN:0286777X)
巻号頁・発行日
no.56, pp.225-243, 2018-03-16

松竹映画「彩り河」(1984)は、霧プロが製作した最後の映画である。前年に公開された「迷走地図」(1983)におて、霧プロの双璧である原作者、松本清張と松竹側の筆頭、野村芳太郎との間に決定的亀裂が起こったこともあり、「彩り河」はその煽りを受けた失敗作とされてきた。しかし、ここには1980年代の松本清張の作風の変化と松竹映画との相性の悪さなど、小説を商業映画にしていくプロセスにおける構造的欠陥が「彩り河」自体で顕在化してきたからに他ならない。本論では、その観点から今までなされてこなかった原作「彩り河」の表現構造分析、映画製作の過程を検証することで、作品がメディアを越境する際に起きる諸相、清張自身の自作映像化への目論見などを炙り出す。

言及状況

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@purissima_bear なぜこうなったのか…その謎を解きます(笑) 「彩り河」の出来の背景には複雑な事情がありまして(苦笑)三村晴彦監督に取材をして、その経緯を基に書いた拙稿がこちらです↓ 因みに三村監督は一度も見返していないそうです。 https://t.co/iZ4uVD8arp
因みに松本清張×三村晴彦監督の松竹映画は『彩り河』(1984)もあります。こちらは松竹最後の松本清張原作の映画であり、その制作には当時の諸相が色濃く表れています。またアイドルからの脱却を図る真田広之の過渡期の作品でもあります。こちらも本年、論文にまとめました。 https://t.co/iZ4uVD8arp
今年は『天城越え』(1983)、三村晴彦監督の没後10年。その三村監督が撮った松竹最後の松本清張原作映画『彩り河』(1984)について。監督への取材などを元に執筆した論考が以下で読めるように。当時の松竹大船の混迷も見えます。ご興味ある方は是非。 #松本清張 #松竹 https://t.co/iZ4uVD8arp

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