著者
藤野 功一
出版者
西南学院大学学術研究所
雑誌
西南学院大学英語英文学論集 = Studies in English language and literature (ISSN:02862387)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.67-85, 2016-03

1980 年代にはじまるフランシス・エレン・ワトキンズ・ハーパー(Frances Ellen Watkins Harper, 1825-1911)の『アイオラ・リロイ、または、取り払われた影』(Iola Leroy: or Shadows Uplifted, 1892)の再評価は主にフェミニズムの観点から行われており、最近ではコリーン・T・フィールド(Corinne T. Field)の論文「フランシス・E・W・ハーパーと知的成熟の政治学」("Frances E.W. Harper and the Politics of Intellectual Maturity")が示すように、この小説をアメリカ黒人女性の知的精神史につらなるものとして評価する傾向が高まっているが、ここではハーパーの小説のアメリカの知的系譜への貢献をさらにはっきりさせるために、『アイオラ・リロイ』を、アメリカ独自の哲学であるプラグマティズムの系譜に連なる作品として読んでみたい。2004 年の論文「19世紀後半から公民権運動の黎明期までの黒人女性歴史家たち」("Black Women Historians from the Late 19th Century to the Dawning of the Civil Rights Movement.")で、ペロ・ガグロ・ダグボヴィー(Pero Gaglo Dagbovie)は、ハーパーが「奴隷制時代と彼女の生きている時代を、実際的かつ政治的な目的のために関連づけた」 と論じて、ハーパーが現実への効果を重視する女性知識人の一人であることを示唆していたが、その後、彼女の小説『アイオラ・リロイ』を、プラグマティズムの系譜のなかに位置づけようとした論文は、ほとんど現れなかった。しかし南北戦争以前からすでにアフリカ系アメリカ人女性として奴隷廃止を積極的に論じ、ジャーナリスト、詩人、禁酒活動家として活躍してきた実践的活動家のハーパーが書いた小説は、人間の行動をその社会変革の意思とともに評価するプラグマティズムの立場から読み解くことによって、よりその意図が明確になるだろう。『アイオラ・リロイ』における女性主人公のまじめに社会改革を求める態度を、アメリカのプラグマティズムの系譜につらなるものとして論じることによって、この作品の文学的評価を定めることにしたい。