著者
中村 満紀男
出版者
筑波大学心身障害学系
雑誌
心身障害学研究 (ISSN:02851318)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.63-80, 2002-03 (Released:2013-12-12)

1930年代アメリカ合衆国における選択断種論の提唱とその形骸化について、ウェスタン・ペンシルベニア州立精神薄弱者施設長、Harvey Middleton Watkinsと他の施設長・精神薄弱専門家を中心に検討した。彼の選択断種論は、出生・養育を除いて、精神薄弱夫婦のコミュニティにおけるノーマルな生活と市民としての地位を認めるという近代社会の原理、そして生活および養育困難の防止と社会適応の促進という社会防衛の矛盾した要素を備えていたが、1928年の発表後に、それまでの優生断種論に代わって他の施設長や精神薄弱専門家に迅速に受け入れられていった。しかしその過程において、ワトキンズの選択断種論の近代的な原理は継承されず、むしろ優生断種論の後継者によって彼の新しい特徴が失われる過程と社会的・歴史的背景を明らかにした。優生断種論を促進する施設長とその支持勢力が存在した南部州では、選択断種論のもう一つの根拠である精神薄弱夫婦の養育困難と生活困難を主たる支持理由に変えたが、この根拠によって、元来、断種導入に保守的だった北東部州でも、大不況期には選択断種の実施が期待されていくようになる。

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