著者
玉 真之介
出版者
青森県
雑誌
青森県史研究 (ISSN:13427431)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.1-20, 2003-12

一九三六(昭和一一)年から開始された満洲林業移民と営林実務実習生制度については、これまで研究がなされてきていない。そ れは満洲移民の中でそれが占めるウエイトが小さいためであるが、視角の定め方によっては、この意味は小さいとは言えなくなる。すなわち、本稿が着目するのは、この二つがスタート時点から満洲への「技術移転」という目的を明確に持っていたという点である。「満洲国」が日本の傀儡国家であり、そこにおける資源開発も日本の総力戦体制の構築・維持のためのものであったことは、すでに明らかにされてきているが、その目的を達成する手段として「技術移転」が進められた点についての検討は、未だ十分とは言えない。実際、農業移民についても後半になればなるほど、技術移転が重要視されていったのである。 この満洲林業移民と営林実務実習生制度は、青森・秋田の両営林局(現、東北森林管理局)が移民の募集や実習生の受入の中心になったものであった。その結果、林業移民の多くが青森県の林業労働者で構成された。また、営林実務実習生制度については、通算すると一〇〇名を超える中国人実習生を青森県で受け入れ、営林実務の訓練を行っている。本稿では、当時の関連文献並びに東北森林管理局青森分局所蔵の一次資料から、青森県と満洲国(中国)との林業技術面における関わりの歴史としてもこの二つを考察した。その結果、満洲林業移民については、初年度は熟練技術者を主眼としたものであったが、翌年からは大量農業移民政策の影響を受けて、農業移民としての定着に重点が変更され、そのために多数の退団者が出たことが明らかとなった。また、営林実務実習生制度については、優秀な実習生が渡日すると共に、濃密なカリキュラムが準備され、林業技術の移転に一定の役割を果たすものであったとの評価も可能であ ることを論じた。また、小学校の運動会への参加など、実習生と地元との交流についても触れた。

言及状況

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昭和14年-20年頃の旧満州吉林省大石頭の地図が見たい。 当時あった製材工場(青森県の営林局の機関と思われる)周辺の地図・写真があればなおよい。

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