著者
安木 新一郎
出版者
函館大学
雑誌
函館大学論究 = Blletin of Hakodate University (ISSN:02866137)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.11-32, 2020-10

「森の民」の中には集団名がその居住する河川名によるものがあり、モンゴル高原と同じく、チョルゲ(漢語では路)という流域ごとに集団を把握するという統治手法が採られていたことがわかる。また、地名をテュルク語で表しており、シベリア統治においてリンガフランカ(族際共通語)、あるいは行政用にテュルク語が使われていたか、もしくはサモエード語話者のテュルク語への移行が見られる。さらに、ジョチ朝・シビル国の影響はエニセイ河中下流域にまで及んでおり、のちにロシアはシビル国が利用してきたイルティシュ、オビ、エニセイ河流域の既存の河川網を伝って侵略し、各地でヤサク(毛皮税)を取り立てることができたと考えられる。参考書や資料集に載せられたモンゴル帝国の版図を表す地図では、元朝やジョチ朝の範囲がシベリアの真ん中あたりまでとなっているものが多い。しかしながら、『元朝秘史』の記述を前提とするならば、14 世紀第1 四半期の元朝の版図はエニセイ河とアンガラ河の合流域より南までで、西シベリアおよびエニセイ河口域にいたる北極圏はジョチ朝の版図となる。