著者
大石 亜希子
出版者
千葉大学経済学会
雑誌
千葉大学経済研究 = Economic journal of Chiba University (ISSN:09127216)
巻号頁・発行日
vol.29, no.4, pp.261-281, 2015-03-11

エスピン=アンデルセンの「福祉レジーム」論では,イギリスはアメリカと同様に自由主義レジームの類型に入る国とされている(Esping-Andersen, 1990)。1979年にマーガレット・サッチャーが首相に就いたのを契機に,保守党政権のもとでイギリスでは20年近くにわたって「小さい政府」が追求された。育児や介護への公的介入は抑制され,欧州委員会の指令にも関わらず1993年まで全労働者に対する産休の権利付与は行われず,公的保育サービスは未整備で,就学前教育(保育)に通う子どもの割合はヨーロッパ諸国の平均を大きく下回っていた。労働市場に目を転じると,1990年代初頭まで年齢階層別の女性労働力率はM字カーブの形状を残し,女性労働者の多くはパートタイム労働に従事するなど,今日の日本の女性労働の現状と類似する特徴を多く備えていた。一方,イギリスの子どもの貧困率は,1960年代は10%前後の水準にあったが,サッチャー政権の発足後は顕著な上昇傾向を示しはじめ,ブレア政権発足時の1997年には27%に達している(等価可処分所得の中央値の60%で評価した貧困率)(図1)。これは当時,先進主要国の中ではアメリカに次ぐ高さであった。世帯の中に有業者のいない,いわゆる"workless"家庭で育つ子どもも5人に1人に上っていた。子どもの貧困問題の深刻化に伴って,貧困家庭に育つ子どもが成長面やライフチャンスの面で持続的な不利を抱えるという研究成果も多数報告されるようになり,対策の必要性が広く社会で認識されるようになった。このような危機感を背景に,ブレア首相(当時)は「今後2