著者
神田 和幸
出版者
特定非営利活動法人 手話技能検定協会
雑誌
手話コミュニケーション研究会論文集 (ISSN:27583910)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.48-56, 2019-05-01 (Released:2023-05-09)

手話の言語学的研究が始まって70年以上になる。鼻祖ストーキーの枠組みはアメリカ構造言語学であり、言語相対論に基づく「手話には独自の構造がある」というものであった。その後のアメリカ手話学者は当時流行のチョムスキーによる言語普遍論による枠組みへとパラダイムをシフトした。そのため「手話の音素」という一見、奇妙な概念を設定し、人間の言語の普遍性を強調する一方、音素の中身は音声言語とはまったく異なる構造を設定するという矛盾の中で、音韻論を構築し、統語論を展開しようとしたが、うまくいかなかった。その背景には手話学者の多くが民族主義的な政治思想をもっており、手話が聾者の言語であるという教条から抜け出ることができないまま、科学的な分析技術を拒否し、チョムスキー言語学のいう母語話者の直観にのみ証拠を求める、という思弁的な方法論に終始してきた。本論では言語学のパラダイムの歴史的変化を言語普遍論と言語相対論という対比で考察した。これは哲学的方法論として、演繹的方法論と帰納的方法論に換言できるかもしれない。トマセロの理論は方法論的には帰納法が中心だが、広範囲な諸文献の考察により演繹論も採用している。折衷的という批判もできるが、バランスをとっているという肯定的な見方もできる。あとは実際的な言語処理技術が手話学に応用できるかどうか、というべ実用的な基準もありうるので、別稿においてトマセロの議論の歴史的変化も追いながら考察してみたいと考えている。