著者
山城 朝美 兼本 正 傅田 哲郎 横田 昌嗣
出版者
日本植物分類学会
雑誌
植物分類・地理 = Acta phytotaxonomica et geobotanica (ISSN:00016799)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.21-29, 2000-09-12

沖縄島の固有種クニガミサンショウズルの染色体数について詳細な調査をおこなった結果,染色体数2n=16,26,38,39,52の5つのサイトタイプが確認された。このうち,2n=26以外の染色体数は初めての報告である。2n=16の染色体数を持つサイトタイプの起源は明らかではないが,残り4つのサイトタイプは,それぞれ,x=13に基づく二倍体,低数性三倍体,三倍体,四倍体であると思われる。5つのサイトタイプの中では二倍体が最も多く,分布域全体を通して高頻度で出現した。一方,倍数体は比較的稀で,二倍体の分布域の中に散在的に出現した。二倍体と倍数体は同所的に生育しており,両者の生育環境に顕著な違いは見られなかった。また,二倍体と倍数体の間に形態的差が認められないこと,クニガミサンショウズルが近縁種から地理的に隔離されていることなどから,クニガミ,サンショウズルの倍数体は同質倍数体ではないかと思われる。
著者
角野 康郎 碓井 信久
出版者
日本植物分類学会
雑誌
植物分類・地理 = Acta phytotaxonomica et geobotanica (ISSN:00016799)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.131-135, 1995-12-01
被引用文献数
2

タシロカワゴケソウは, 1977年8月に鹿児島県の大隅半島にある田代町「奥花瀬」の雄川上流で新敏夫博士によって発見された(新, 1977)。新博士はこれをカワゴケソウ属の新種と考えたが, 花を得られなかったために正式の発表を控えた。新博士はその後まもなく病床に伏し1982年に逝去されたため, 正式の報告がないまま"幻の新種"となって今日に至っている。我が国におけるカワゴケソウの発見者である今村駿一郎博士も, これを新種と考え, "タシロカワゴケソウCladopus austro-osumiensis"という和名と学名を付した資料を残されている(「カワゴケソウ科分布現況略図」と題する手書きの地図で, 水草研究会会報23号の拙稿「今村駿一郎先生を悼む」に転載してある)。この名前が新博士によるものか今村博士によるものかは不明である。新博士と親交のあった土井美夫氏は, 『広島県植物目録』(1983)の末尾に「鹿児島県植物目録追加」としてタシロカワゴケソウ発見の経緯を記録し, 「在鹿の人により正式の発表」がなされることへの期待を述べている。その後, 鹿児島大学理学部ならびに水産学部の卒業研究などでカワゴケソウ科植物の現状に関する調査は幾度か進められたが, タシロカワゴケソウの記載は行なわれないままになっていた。このような状況の中で1990年12月, 筆者のうちのひとり碓井は雄川上流の田代町新田南風谷橋付近で良好に生育するタシロカワゴケソウの群落を再発見した。そして, その標本を角野に託した。今回得られた標本は, 採集時の水位の関係と思われるがつぼみの状態か既に果実になったものばかりで, 開花中のものは無かった。しかし, 幅0.4〜1mmしかない細い葉状体は他種には見られない特徴で, 花は無くとも新博士の慧眼どおり新種に間違いないと判断し, 記載の準備を開始した。一方, ほぼ同じころ, 鹿児島大学理学部堀田満教授研究室に所属する学生の谷口宏君が, 同じ場所でタシロカワゴケソウの調査を進め, 花についても詳しい観察資料を得ていたことが後日判明した。私どもは, 保全の取り組みのためにもまず種として正式に認知することが急務と考え, 手元にある標本に基づいて記載の準備を進めていたが, 今回の報告に際し堀田先生から谷口君の観察資料の一部を御提供いただくことになった。花の記載を盛り込むことができたのは, 堀田先生の寛大な御好意の賜物であり, 心より感謝する次第である。周知のように, カワゴケソウ科植物は急流にのみ産する特異な植物として注目され, 日本では鹿児島県と宮崎県の11水系の河川から2属6種が知られていた。しかし, 近年, 河川改修や水質汚濁の進行などでほとんどの種が絶滅の危機に瀕し, 保護の重要性と研究の必要性が訴えられている。タシロカワゴケソウも例外ではない。今回の新種記載を契機として, その形態についてのさらに詳しい研究が行なわれるとともに, 生態や現状についての詳しい調査が進むことを期待する。