著者
大谷 宏治
出版者
財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所
雑誌
財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所 研究紀要 第16号
巻号頁・発行日
no.16, pp.55-66, 2010-08-27

鉄製環状鏡板付轡の中で、立聞に鋲留立聞を採用するものがいくつか存在する(鋲留立聞環状鏡板轡)。この鋲留立聞は、まず金銅装花形鏡板付轡・杏葉など金銅装馬具に取り入れられ、その変化を受け、小型矩形立聞環状鏡板付轡などの鉄製馬具にも取り入れられ、鋲留立聞環状鏡板付轡が創出されたと考えられる。また、鋲留立聞環状鏡板付轡の出現する時期が6世紀末~7世紀前半(TK209型式後半・飛鳥Ⅰ期~飛鳥Ⅱ期)で、金銅装馬具生産の再編期と同じ時期であることから、この馬具生産者集団の再編に伴い円環轡の工人集団も再編され、金銅装馬具生産に関わり、鋲留技術を習得し、鋲留立聞環状鏡板付轡を生産した可能性がある。

1 0 0 0 IR 鋳物師の本貫

著者
足立 順二
出版者
財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所
雑誌
財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所 研究紀要 第16号
巻号頁・発行日
no.16, pp.73-86, 2010-08-27

戦国時代、鰐口・雲版など仏具が奉納先の遠江を離れ、三河・信濃・甲斐に移動し現存する例を中心に、なぜこのような現象が起きたのかを検討する。その中で、藤原秋長と刻まれた鰐口と雲版を検討し、これが遠江赤座の鋳物師の作例であることを明らかにした。同時にこの秋長銘の雲版が、当初奉納された相良庄の寺院から長上郡高畠の寺院に再び奉納されていることの意味を、鋳物師による中古品の販売による移動であることを検証した。また遠江・駿河の鰐口からその型式的特徴を抽出し、そのいくつかから遠江・駿河のある特定の鋳物師集団が存在したことを取りあげて、その盛衰と近世鋳物師への変貌を論じている。つぎに検証した作業では信濃や甲斐に移動した鰐口を取り上げ、これらのうちいくつかは、武田軍の高天神城攻略や三方原など遠江侵攻の戦時による徴用や略奪の結果ではないかと考えた。と同時に遠江・三河からの販売による移動も認められた。このように鰐口・雲版を単に銘文だけを取り上げるのではなく、移動する意味の検討や考古学の型式分析によって、新たな中世史を描こうとした。