著者
田中 涼
出版者
国立音楽大学大学院
雑誌
音楽研究 : 大学院研究年報 = Ongaku Kenkyu (ISSN:02894807)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.83-100, 2018-03-31

わが国における西洋音楽の創作、演奏、そしてオーケストラの設置など、幅広く活動した音楽家のひとりが、山田耕筰(1886-1965)である。彼が誕生したのは、「音楽取調掛」や「東京音楽学校」が開設され、国家による西洋音楽の組織的導入が始まった頃の1886(明治19)年であった。まさに彼の人生は、わが国の西洋音楽の揺籃から成長の時期に一致する。設立まもない東京音楽学校で教授された西洋音楽は、とりわけ声楽に関しては、ドイツ語やイタリア語の歌曲が主であった。そのため、当時のわが国では、西洋音楽の書法による日本語歌曲というのは、作曲される機会も演奏される機会も少なかったと考えられる。山田はアメリカ視察から帰国してしばらくすると、日本語による歌曲の創作を試みる。彼は、日本語の歌詞と西洋音楽との関係についての探求を深め、この成果として一連の「歌曲論」が発表された。特に山田が問題としたのは、ドイツ語やイタリア語では、言葉のアクセントやリズムの捉え方が日本語と大いに異なっているという、本質的な相違であった。日本語の歌詞と西洋音楽の語法とをいかに融合するのかが、日本語による歌曲の創作を続けていくうえで、彼が解決しなくてはならない問題であった。こうした、作曲法的であり美学的とも言える根本的な思索を通して創作された山田の日本語歌曲だが、彼が実際に日本語歌曲を創作する上で用いた作曲語法と、歌曲論で展開した理論とが一致しているかどうかは、今日でも評価の分かれるところである。本論では、西洋音楽を学んだ日本人作曲家が直面する、日本語の歌詞に西洋音楽を付して音楽作品としての一体性を獲得するという課題に対して、山田が実践した方法を音声学の視点から明らかにした。山田の歌曲論を考察し、彼の作品を分析したことで、彼が言葉のリズムや高低関係を無視した日本語歌曲に疑問を持ち、日本語の発音を生かして歌曲を創作する方法を研究していたこと、すなわち、歌曲創作において、今日で言う言葉のアクセントやモーラ、リズムを非常に重要視していたことが明らかになった。特に「からたちの花」には、詩の発音に合わせて拍子を変化させる技法や、詩のアクセントに合わせて歌唱旋律の音高の高低関係を決める技法、詩の各連の末尾に全終止または半終止を置く技法や、詩の1モーラに1音を当てる技法が見られることから、この曲は、彼の歌曲論に忠実に作曲されたものであると言える。
著者
悪原 至
出版者
国立音楽大学大学院
雑誌
音楽研究 : 大学院研究年報 = Ongaku Kenkyu (ISSN:02894807)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.51-64, 2017-03-31

本論文は、ヤニス・クセナキス作曲の打楽器独奏曲《Rebonds》の音型構造を、群論の概念を用いて分析を行ったものである。《Rebonds》は“a”、“b”と異なる特徴を持つ2つの部分から構成されているが、“a”にはクラインの四元群、“b”には正六面体群の概念を分析に使用した。《Rebonds》の先行研究としては、グレッグ・ベイヤーによる黄金比の概念を用いたものがある。それは曲全体がどのようなプロポーションで構成されているのかを明らかにする試みであり、それに対して本論文での分析は、群論の概念から音型の構成方法を探るという細部に目を向けた独自の視点である。“a”に用いたクラインの四元群は、ある図形に左右反転、上下反転、180°回転の操作を加えるといった方法で表現できる。“a”では、冒頭に現れる核となる音型に、前述の3つの操作が適宜加えられ、音型の形が変化していく。3つの回転操作のうち、ある一定の手順を繰り返し行うことにより、もとの音型が様々な形に変わり、それがまた元の音型に戻るというサイクルが形成されている。サイクルが終わった後は、それまでに現れた音型を組み合わせたり、縮小したりといった変形を加えられながら曲が発展していく。その音型の配置はサイクルのように規則的なものではなく、直感的に自由に配置されている。一方“b”では正六面体群の概念が用いられている。それは立方体の回転に基づくものであり、その回転により現れる4つの数字の組み合わせが音型を構成する基となっている。この立方体の回転の操作にも、“a”と同様に一定のサイクルがあり、“b”においては3つのサイクルが確認できる。サイクルにより音型が変遷していくが、曲が進むにつれて音型の変化する頻度が高まり、秩序が崩壊してゆく様が演出されている。規則性がだんだんと感じにくくなり、サイクルによる音型変化が終了した後は、“a”と同じく直感的に音型が扱われてゆく。“a”、“b”それぞれ基となる群の構造は違うものの、その活用法は似通ったものがある。両者とも曲の前半部分では、群論に基づくサイクルを使用することにより、核となる音型を変形させ新たな音型を生み出し、曲の後半では、計算というより、それらの音型をより直感的な形で組み合わせたり、回転、変形させたりして扱っている。クセナキスは作曲の行為を計算に委ねたというイメージが強いが、《Rebonds》作曲前後のクセナキスの発言を顧みると、計算による作曲の息詰まりから、直感も重視していることが分かる。クセナキスは《Rebonds》 において、まず群論の演算をもとにサイクルを決め、音型を半自動的に生成した。それに直感に基づく操作を加えることにより、計算の息詰まりから音楽を解放し、生命力や躍動感をもらしたと言えよう。