著者
稲本 万里子
出版者
恵泉女学園大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1999

後白河院(1127-1192)はさまざまなジャンルにわたる浩瀚な絵巻を作らせたことが知られるが、その多くは失われ「伴大納言絵巻」「吉備大臣入唐絵巻」「病草紙」「餓鬼草紙」「地獄草紙」などが現存するのみである。これらの絵巻研究は個別の作品研究が中心であり、後白河院による絵巻制作の全容とその意味は未だ明らかにされていない。これは「年中行事絵」をはじめとする行事絵や「彦火々出見尊絵巻」が模本でしか現存していないことが要因であると考えられる。本研究は、今まであまり注目されることのなかった模本の調査研究と資料収集を通して、後白河院の絵巻制作とその機能を複眼的に、また総合的にとらえるものである。まずはじめに、福井・明通寺蔵「彦火々出見尊絵巻」模本と「伴大納言絵巻」「吉備大臣入唐絵巻」を取り上げ、人物表現を中心に比較検討をおこなった。「彦火々出見尊絵巻」に措かれた人物は、絵所絵師常磐光長系の表現としてパターン化されているが、龍王の姫君の特異な表現から、治承2年(1178)平徳子の皇子出産が絵巻制作の契機になったと考察される。さらに、陸地と龍宮を往還する神武天皇の祖父の物語である「彦火々出見尊絵巻」は、異国の征服と皇統の視覚化を目的として制作されたと解釈することができる(詳細は、「措かれた出産-「彦火々出見尊絵巻」の制作意図を読み解く」(服藤早苗・小嶋菜温子編『生育儀礼の歴史と文化-子どもとジェンダー-』森話社、平成15年3月)にて発表した)。後白河院が制作させた絵巻群は、自国の支配と異国の支配、そして、皇統と皇権の表象であった。後白河院は、絵巻制作というイメージ戦略によって、自らの権威を認識させようとしたと考えられるのである。

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メモ:後白河院の絵巻制作とその機能に関する調査研究  http://t.co/ocLKwvPI

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