著者
山田 奨治
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.19, pp.15-34, 1999-06-30

オイゲン・ヘリゲル著『弓と禅』は、日本文化論として広く読まれている。この論文では、ヘリゲルのテクストやその周辺資料を読み直し、再構成することによって、『弓と禅』の神話が創出されていった過程を整理した。はじめに弓術略史を示し、ヘリゲルが弓術を習った時点の弓術史上の位置づけを行った。ついでヘリゲルの師であった阿波研造の生涯を要約した。ヘリゲルが入門したのは、阿波が自身の神秘体験をもとに特異な思想を形成し始めた時期であった。阿波自身は禅の経験がなく、無条件に禅を肯定していたわけでもなかった。一方ヘリゲルは禅的なものを求めて来日し、禅の予備門として弓術を選んだ。続いて『弓と禅』の中で中心的かつ神秘的な二つのエピソードを選んで批判的検討を加えた。そこで明らかになったことは、阿波―ヘリゲル間の言語障壁の問題であった。『弓と禅』で語られている神秘的で難解なエピソードは、通訳が不在の時に起きているか、通訳の意図的な意訳を通してヘリゲルに理解されたものであったことが、通訳の証言などから裏付けられた。単なる偶然によって生じた事象や、通訳の過程で生じた意味のずれに、禅的なものを求めたいというヘリゲル個人の意志が働いたことにより、『弓と禅』の神話が生まれた。ヘリゲルとナチズムの関係、阿波―ヘリゲルの弓術思想が伝統的なものと錯覚されて、日本に逆輸入、伝播されていった過程を明らかにすることが今後の研究課題である。

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http://shikon.nichibun.ac.jp/dspace/handle/123456789/632 「神話としての弓と禅」 禅と西洋の邂逅のお手本として読み継がれている、オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」その背景を考察した論文。禅的な言語表現に潜む狐の尻尾。 抜粋〜『弓と禅』で語られている神秘的で難解なエピソードは、通訳が不在の時に起きているか、通訳の意図的な意訳を通してヘリゲルに理解 ...
今は昔、弓を嗜む友人が遊びに来た。たまたまヘリゲルの『日本の弓術』が転がっていたので勧めたら、「外人の書いた弓道の本なんてステレオタイプの日本人論に弓を当てはめるだけだから読む価値が無い」という。暫らくたって彼のところに遊びに行ったら本棚に『日本の弓術』があった。こんな本読むんだ、と訊ねたら「非常に面白い本だから貸してやろうか」と言われた。  まあ下らない話だが、リンクの論説を読んだら思い出してし ...

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