著者
永嶋 正信
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.49, no.5, pp.25-30, 1985-03-31 (Released:2011-07-19)
参考文献数
9
被引用文献数
1

国立公園の指定後、県立公園の指定にとりかかれるよう1933年内務省は県に指令を発し国立公園の体系化を目標にしていたか果せず1957年になって達成された。1931~50年の20年間には風景の保護に関して、問題の期間が2回あった。1つは1931年国立公園法かできてから指定される1934年までと他の1つはi937~45年までの間である。前者は法律かできたが適用されず計画のみ発表されている。日光地城で関心をもち初めたのはさかのぼって1911年「日光山ヲ帝国公園ト為スノ請願」か提出されたときからと考えられる。外国からの観光団も増加し当時、わが国の観光収入もそれまでの最高となり、観光開発に関心が高まり、中禅寺湖遊覧飛行が行われ、金精峠に道路建設の計画、実地調査か行われている。各種交通機関によって浅草から日光湯元まで直通という画期的な到達性の改善がなされたが引続き開発の制限は厳しい上に自主的な保護の様子がみられた。後者は指定を受けた日光地域が国立公園として軌道にのらないうちに、利用は進んでいたか、戦時下で自然公園行政の空白化が景観保護には障害となっている。到達性の改善か風景利用の大衆化を進めるとともに、冬季スポ-ツの促進ともなり、地元は収入を意識した観光事業の開発に力点をおくようになった。

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@svq 指定以前に遊覧飛行やってたみたいです。 https://t.co/olYu2ZZWMb >1931(昭6)年には(略)同年6月22日付は国立公園の指定以前,中禅寺遊覧飛行として15式水上機定員2人乗が7月1日~10月20日まで,中禅寺湖に停泊していたと報じられる。

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