著者
飛田 範夫
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.52, no.5, pp.7-12, 1989-03-31
被引用文献数
1 or 0

日本の伝統的スポーツの1種である蹴鞠は,中国から7世紀頃に日本に伝来したものと考えられる。当初邸内の庭で鞠を蹴り合うだけであったが,次第に本格化して「鞠の庭」が定められ,4隅に懸(かかり)と呼ばれる桜柳楓松などの樹木を植えるに至つている。造園的に見ると,懸の仕立には庭園の剪定技法が応用され,鞠の庭の舗装に関しては,土と砂あるいは塩を含ませたものをつき固めるなどの工夫がなされていることがわかる。
著者
高橋 理喜男
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.10-17,21, 1963-01-30 (Released:2011-07-19)
被引用文献数
1 or 0

The 5th Industrial Exhibition of Japan was held in Osaka city in 1903. The City Government, that was obliged to prepare a large site for the Exhibiton, acquired an of about 30 ha. at a great cost, partly by means of compulsive purchase-the application of Land Expropriation Law-on condition that a large city park should be established there after its closing. That is the origin of Tennoji Park of today. Of course all the site was not used for a park area. It was decided to rent its western part (some 10 ha.) in 1911, in order to have the financial basis indispensable to maintenance and management of established parks.The area let out on lease was generally called “Sakugaichi”i. e. “the Outside Area of Tennoji Park” for the reason of being separated with a fence from the inside area-the actual park area. Soon thereafter Sakugaichi and its vicinities were developed as a kind of amusement centre, and became famous by the name of “Shinsekai”, literally “New World”.At the ending of Taisho era was completed the first and most ambitious Park Planning Scheme, which was involved in the 2nd Town Planning of Osaka a few years later. So the Government tried to sell the rented area to tenants in 1937, for getting a financial source available for execution of proposed parks and playgrounds. Their opposition against disposal, however, was so violent that the accumulation of the park constrution fund got deadlocked.In the meantime the fund problem was fortunate enough to be solved in the form of adding a item of “Park Working” to “Working Expenses for Town Plahning, Special Account”. Because, by all means, the Government had to promote the park planning in memory of the year 2600 of Imperial era, that had been agreed in the Osaka City Council. Consequently the leased area still remains unsettled in the middst of Osaka City. It is very regrettable, for the above mentioned policy has already finished its historical role, which might have been inevitable and important before.
著者
俵 浩三
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.1-15, 1993-08-27 (Released:2011-07-19)
参考文献数
12

植物への理解を深めることは造園学の重要な基礎となるが, 植物情報源として大きな役割をはたす植物図鑑の発達史は, 造園史, 植物学史, 理科教育史の分野を含めて十分に研究されていない。そこで,(1) 明治以降に出版された一般野生植物を対象とする植物図鑑の発達史を展望して時代区分を行い, その特徴を明らかにするとともに,(2) とくに明治40年ころに近代的, 啓蒙的植物図鑑を出現させた原因には, 当時の初等理科教育における博物重視と, 画一的ではない「身近な自然」を教科書とする教育の方針があったこと,(3) さらに「牧野植物図鑑」の成立には, 牧野を敬愛す人々によってつくられた英雄伝説的な “誤伝” があること, を明らかにした。
著者
永松 義博
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.49, no.5, pp.191-196, 1986-03-31

視覚障害者の公園利用について、具体的構想から、検討した。公園計画に当っては、視覚以外の「聴覚」「嗅覚」「触覚」「味覚」の感覚器官を総合的に活用すること。歩行の手がかり、空間理解の手がかりを多く与えること。盲人の特徴に配慮を加えた遊具の開発、又はスポーツ、レクリエーション施設の導入といった点を基本に、考えてみたものである。
著者
小野 佐和子
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.55, no.5, pp.43-48, 1992-03-31

江戸時代後期に越後柏崎で行なわれた茸狩を例に,近世地方都市の行楽のありようを考察する。近世の中小の都市ではわらび取りや鮎すくいといった採取形態の行楽が広く行なわれたが,茸狩もその一つである。茸狩の場所は町周辺の丘陵地帯で春の野遊びの場であることが多い。茸の季節には家族や友人が連れだって茸狩に出かけ,子供も参加した。とった茸は食料であるばかりでなく,贈答品となり,またゲームの戦利品ともみなされた。このゲームとしてのおもしろさが人々を茸狩にかりたてたと考えられる。また茸狩は時として遊宴をともない,都市と農村との交流の機会になることもあった。
著者
浅野 二郎 仲 隆裕 藤井 英二郎
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.50, no.5, pp.7-12, 1987-03-31

わが国の住宅建築の重要な様式の一つとして「書院造り」がある。この書院造りの住宅に対応する庭園として書院庭園がある。本論文は法然上人絵伝、獅引絵などの絵巻物類あるいは町田家旧蔵本・上杉家蔵本洛中洛外屏風などの諸史料を主な検討素材とし、また寺院における庭空間の取り扱いなどをも併せ考えつつ、書院庭園の成立にかかわるさまさまな要素を検討,考察したものである。
著者
野島 義照 沖中 健 小林 達明 坊垣 和明 瀬戸 裕直 倉山 千春
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.56, no.5, pp.115-120, 1993-03-24
被引用文献数
13 or 0

建築物の壁面につる植物を被覆させることによる夏期の壁面温度の上昇抑止効果を把握するための測定実験を行った。簡易建築物の南側につる植物で覆われた壁面とつる植物のない壁面とを設け,壁面温度,壁面での熱流の経時変化を,晴れた日,曇りの日,晴れた日で室内は冷房,という3種類の異なった条件の日に計測した。そのうち1日の計測では,つる植物の葉からの水分の蒸散量,地際の幹での樹液流速の計測,熱赤外線ビデオカメラを用いた南側壁面全体の表面の温度分布の画像撮影をも行った。壁面の緑化により壁面の最高温度を約10℃低下させることができること等が確かめられた。また,日中,壁面緑化による壁面温度の低減量が大きくなるにつれて,葉からの蒸散量も大きくなる傾向が見られた。
著者
俵 浩三
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.1-15, 1993-08-27
被引用文献数
1 or 1

植物への理解を深めることは造園学の重要な基礎となるが,植物情報源として大きな役割をはたす植物図鑑の発達史は,造園史,植物学史,理科教育史の分野を含めて十分に研究されていない。そこで,(1)明治以降に出版された一般野生植物を対象とする植物図鑑の発達史を展望して時代区分を行い,その特徴を明らかにするとともに,(2)とくに明治40年ころに近代的,啓蒙的植物図鑑を出現させた原因には,当時の初等理科教育における博物重視と,画一的ではない「身近な自然」を教科書とする教育の方針があったこと,(3)さらに「牧野植物図鑑」の成立には,牧野を敬愛す人々によってつくられた英雄伝説的な'誤伝"があること,を明らかにした。
著者
田畑 貞寿 宮城 俊作 内田 和伸
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.53, no.5, pp.169-174, 1989-03-30 (Released:2011-07-19)
参考文献数
8

本研究では, わが国の近世城郭跡の保存と活用を目的とした公園化による環境整備がどのようにすすめられているのかを明らかにし, 史跡保存のため新たな史跡公園化の方途を探ることを目的とした。国内90ケ所の城址公園を対象として行った調査により, 多くの事例において史跡指定→指定地内の土地公有化→施設の移転→遺構の発掘調査→復元整備→史跡公園化といった事業のプロセスが確認された。
著者
温井 亨
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.56, no.5, pp.79-84, 1993-03-24
被引用文献数
5 or 3

1985年にイタリアで制定されたガラッツ法は,国土の風景の荒廃を防ぐため,海岸線から300m以内の国土の全域等を風景規制下に置くと同時に,州に風景計画の策定を義務づけ,策定までのあいだの暫定措置として,さらに規制地域内等に建築禁止区域を設けた。本研究では,こうした極めて大胆な内容を持つガラッツ法の背景を,州制度導入による地方分権,保全対象の拡大過程,風景の公共性と私権制限の関係という3つの側面から歴史的に考察し,同法の法的性格を明らかにした。
著者
赤坂 信
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.232-247, 1991-02-28 (Released:2011-07-19)
参考文献数
73

ドイツ郷土保護連盟の設立 (1904) の歴史的背景と社会的動機を探り, 連盟の改称が提起されるまでの四半世紀間の活動内容及びその変遷を明らかにすることを目的とした。郷土保護運動の当初の段階は近代的発展によって郷土の風景や生活習慣が消失していくことに対する抗議や救済が主目的であった。やがて保護育成の対象は郷土の空間の構成するモノから郷土を担うヒト (Volk) へ移行する。すなわち望ましい民族の育成が課題となっていく。
著者
笹谷 康之 中村 良夫
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.48, no.5, pp.318-323, 1985-03-30
被引用文献数
2 or 3

摘要 伝統的な農村集落とは村人にとって一つの小宇宙を構成しており,そこには濃密な意味が込められた象徴的な場所・領域一方向か存在し,土地にまつわる肌理細かい空間認識の体系が認められる。そこて本論ては,多摩丘陵の一角にある川崎市久末集落を事例に,地名,地物の空間的認識,集落内集団の呼称,土地にまつわる伝承,古老の体験なとから,村人の民俗分類に立脚した集落の空間構成について報告するものてある。
著者
岡崎 文彬
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.29, no.3, pp.2-5, 0000

Der Park von Wilhelmshohe bei Kassel besteht auszwei, sich sehr unterscheidenden Teilen. Der obere Teil mit dem Oktogon und der Kaskade wurde von Guernieri auf Wunsch des Grafen Karl im italienischen Barcckstil gartnerisch gestaltet, wahrend der grosse iibrige Teil unter Kurfurst Wilhelm I im landschaftlichen Stil angelegt wurde. Es gibt in Deutschland mehrere Parks oder Garten mit franzosischer oder landschaftlicher Gestaltung wiez. B. in Nymphenburg und Schwetzingen, die Mischung von italienischem und landschaftlichem Stil ist jedoch sehr selten. Sicher hatte Graf Karl, wenn er noch langer gelebt hatte, auch noch einen Garten im franzosischen Stil anlegen lassen. Dank des guten Kontrastes von regelmassigen und naturgemassen Parkteilen, ist Wilhelmshohe nicht nur einer der grossten, sondern auch der schonsten Parks in Deutschland bzw. in der Welt.
著者
金 龍洙
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.42, no.3, pp.10-17, 1979-02-15

古代ギリシャでは,マテネでアドニス祝祭が女性により壮厳に行なわれた。それが,いまもギリシャの所々でアドニス・ガーデンの風習として生き続け,とくにセェレェー村では復活祭にこの行事が盛んである。 本研究は,アドニス庭の形成と推移を歴史的に考察し,現代のギリシャ庭園に及ぼした影響を検討したものである。 文献によればアドニス祝祭は紀元前5世紀に遡る。美男アドニス神の若い逝去を悼んで,若い女性らが,こわれたエムプラ (ギリシャの壷) を逆にして,なかに土を埋め草花を栽培した。草花の枯死はアドニス神の死と復活を象徴するもので,植物の再生と成長を促進する呪術的な行為とされた。とくに注目すべきことは,こわれたエムプラの残りを逆さにして,それを鉢として使用した点である。 この風習はギリシャ人の生活に深くしみ込み,形こそ変わったが,いまでもいたるところでアドニス・ガーデンがみられるし,ポット・ガーデンのオリジンとみることもできる。 なおアドニス・ガーデンは豪華な造園ではなく,庶民の情緒的な小庭園であるところに,大きな意味があると思われる。
著者
岡 畏三郎
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.83-92, 1940-07-15
著者
野島 義照 沖中 健 小林 達明 坊垣 和明 瀬戸 裕直 倉山 千春
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.56, no.5, pp.115-120, 1992-03-31 (Released:2011-07-19)
参考文献数
5
被引用文献数
8 or 0

建築物の壁面につる植物を被覆させることによる夏期の壁面温度の上昇抑止効果を把握するための測定実験を行った。簡易建築物の南側につる植物で覆われた壁面とつる植物のない壁面とを設け, 壁面温度, 壁面での熱流の経時変化を, 晴れた日, 曇りの日, 晴れた日で室内は冷房, という3種類の異なった条件の日に計測した。そのうち1日の計測では, つる植物の葉からの水分の蒸散量, 地際の幹での樹液流速の計測, 熱赤外線ビデオカメラを用いた南側壁面全体の表面の温度分布の画像撮影をも行った。壁面の緑化により壁面の最高温度を約10℃低下させることができること等が確かめられた。また, 日中, 壁面緑化による壁面温度の低減量が大きくなるにつれて, 葉からの蒸散量も大きくなる傾向が見られた。
著者
高橋 理喜男
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.2-8, 1974-03-20 (Released:2011-07-19)
参考文献数
28

The development of municipal parks in Japan commenced in 1873, when the Decree of DajOkan (the Central Government) for establishing parks as recreational place was published. It can be easily imaged that the new government was terribly rushed with a great many difficulties both in domestic and diplomatic fields and could not afford to be deeply concerned in such a “trivial” matter as recreaton for people. Consequently, it is natural to recognize some alien influences, direct or indirect, upon the preparation of the said Decree.The Decree called forth echoes all over the country and numerous parks were born in a mere ten years. Most of them, however, were based on traditional recreation places having scenic deauty and on grounds of shrines and temples or changed from castle sites. And there were some cases that could not obtain wide favor among people owing to being far from the urban area.
著者
小野 佐和子
出版者
社団法人日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.93-103, 1984-10-15

摘要:近世都市における住民のレクリエーション研究のひとつとして幕末の江戸で行われた花見のあり方を考察した。その結果,下層町人を主体とする行列・仮装・滑稽劇をその特徴に認め,当時の花見が,演劇的装いのもとに笑いを通じて民衆の想像力を解放する働きを有しており,花見の揚が民衆の笑いと変身の空間であるとする知見を得た。
著者
宮城 俊作
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.54, no.5, pp.96-101, 1990-03-30 (Released:2011-07-19)
参考文献数
26

1980年代にはいって新たな展開を模索しはじめたアメリカ合衆国のランドスケープデザインに関して, その背景をなすものとして, 環境芸術, 特にアースワークの作品群と作家の主張を位置づける。広大な風景の中での空間とスケールの表現, 人間の知覚と行動を媒体とした作品の完結性, 生態学的倫理と制作を通じて土地改良を目指す態度のあいだに生起する葛藤, さらには制作のプロセスそのものを作品化する試み, 以上4つの側面からその潜在的影響を考察することができる。ランドスケープアーキテクトによる試行的なデザインには, こうした潜在的影響のもとで, 芸術家の制作に社会性を付与してゆこうという意識が内包されている。