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投稿一覧(最新100件)
日蓮正宗の坊さんが身延山久遠寺に見学に来た話は有名です。
勿論、日蓮宗の坊さんも資料入手などの目的で日蓮正宗と交流している筈です。
証拠は?
日蓮宗宗学全書の2巻興尊全集、4巻日蓮正宗部は堀慈琳、後の堀日亨の助力により完成したものです。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953049
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9 ...
日蓮正宗の坊さんが身延山久遠寺に見学に来た話は有名です。
勿論、日蓮宗の坊さんも資料入手などの目的で日蓮正宗と交流している筈です。
証拠は?
日蓮宗宗学全書の2巻興尊全集、4巻日蓮正宗部は堀慈琳、後の堀日亨の助力により完成したものです。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953049
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9 ...
普通に考えて「余は二十七年」の文をもって戒壇板曼荼羅が特別な本尊という根拠にはなりませんよね。
実際、大石寺歴代の貫主で本門戒壇板本尊について言及したのは日蓮の死後数百年してからです。
つまり、日蓮の「余は二十七年」にあたる弘安二年と戒壇本尊に書き入れて後世に作っただけのことです。
こんなインチキは誰でもできることで、信じろというほうが無理な話です。
堀日亨は大石寺では学者として通っていたよう ...
そもそも、二箇相承自体、偽書なんですけどね。
日蓮遺文の底本で、日蓮正宗版と創価学会版の遺文集(御書全集)の底本は昭和定本日蓮聖人遺文です。
日蓮正宗の平成新編は昭和新定日蓮大聖人という大石寺の遺文を定本にしているようですが、昭和新定の底本はやはり昭和定本日蓮聖人遺文です。
そもそも、堀日亨(堀慈淋)が御書全集を出版する以前は、創価学会も日蓮正宗も霊艮閣版の縮刷遺文(日蓮聖人御遺文)とい ...
そもそも、二箇相承自体、偽書なんですけどね。
日蓮遺文の底本で、日蓮正宗版と創価学会版の遺文集(御書全集)の底本は昭和定本日蓮聖人遺文です。
日蓮正宗の平成新編は昭和新定日蓮大聖人という大石寺の遺文を定本にしているようですが、昭和新定の底本はやはり昭和定本日蓮聖人遺文です。
そもそも、堀日亨(堀慈淋)が御書全集を出版する以前は、創価学会も日蓮正宗も霊艮閣版の縮刷遺文(日蓮聖人御遺文)とい ...