著者
伊原 義徳
出版者
一般社団法人 日本原子力学会
雑誌
日本原子力学会誌 = Journal of the Atomic Energy Society of Japan (ISSN:00047120)
巻号頁・発行日
vol.46, no.4, pp.266-271, 2004-04-30
参考文献数
20

<p> 敗戦後, 禁止されていた我が国の原子力研究開発は,「アトムズ・フォア・ピース」の呼び掛けによる原子力平和利用の波に乗り, 1956年の原子力基本法の制定, 発電炉の導入と活発化した。研究が進むにつれて, 国産動力炉開発の必要性が認められ, 動力炉・核燃料開発事業団が設立された。他方, 原子力船の開発は, 放射線漏れで停滞し, 十数年後にようやく実験航海を達成した。動燃は, 高速炉でナトリウム漏れを起こし, 対応を誤ったため体制見直しとなった。原子力は安全から安心への時代となり, 誤報問題への対応が重要となった。原子力施設の安全実績は十分確立されているが, 日本文化の特殊性により, それが十分理解されていない。我が国では, 原子力発電が基幹エネルギー源として定着し, 原子力技術は世界最高水準である。不祥事により意気が阻喪することのないよう, 関係者の奮起を望む。</p>

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