著者
白石 和行
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.50-70, 2001-03

越冬隊40名, 夏隊20名及びオブザーバー6名の総計66名からなる第40次南極地域観測隊(以下, 第40次隊)は, 1998年11月14日東京港を出港した。往路においてオーストラリアの観測船「オーロラ・オーストラリス」号の救援活動が組み込まれたが天候, 氷状等の条件に恵まれ, 当初計画に大きな影響はなかった。昭和基地方面での行動中は天候が悪く, 輸送, 建設等の作業に大きな影響を与えた。さらに, 強風によるヘリコプター機材の損傷のためにアムンゼン湾でのオペレーションを中止せざるを得ない事態がおこるなど, 第40次夏期行動はあわただしい動きに終始した。しかし, その他の夏期の基地設営活動や調査観測についてはおおむね所期の目的を達成し, 越冬隊を成立させることができた。往路においてオーストラリアの観測船「オーロラ・オーストラリス」号の救援活動が組み込まれたが天候, 氷状等の条件に恵まれ, 当初計画に大きな影響はなかった。12月21日から24日までの間に, アムンゼン湾トナー島に小型ヘリコプターを含む地学調査隊(オブザーバーを含め13名)を送り, 12月26日に昭和基地への第1便を発した。12月28日午後, 昭和基地に接岸。ただちに貨油のパイプ輸送と大型物資の氷上輸送を開始した。昭和基地への本格空輸は1月上旬の平均風速が観測史上第1位, 日照時間はわずか29時間という悪天のために輸送ははかばかしくはいかなかった。そのため, 多くの物資を氷上輸送に切り替えざるをえなくなった。夏期建設作業としては, 300kVA発電機の設置, 通路建設, 旧居住棟移設, 太陽光発電や汚水処理棟の設備工事, 第1 HFレーダーとMFレーダーの建設などがあったがこれらの進捗も悪天のために遅々としていた。1月10日にトナー島のヘリコプターが強風により破損したため, 今次隊でのアムンゼン湾地域での地学調査を打ち切り, 「しらせ」をアムンゼン湾に回航して隊員と物資を収容することにした。「しらせ」は1月25日にリュツォ・ホルム湾に戻り, 2月1日に第39次隊との越冬交代を行った。昭和基地への物資輸送は, アムンゼン湾からの回送分を含めて, 総計954トンに達した。また持ち帰り物資は287トンとなった。昭和基地周辺地域では, 沿岸露岩域, 海氷上での観測および調査等を行った。多くの調査がアムンゼン湾地学隊収容後の2月以降に実施され, 野外調査は2月17日に終了した。ドームふじ観測拠点への夏期内陸旅行は, 2月11日にS16に帰投した。復路では, 航走及び停船海洋観測を継続実施した。3月2日に中山基地(中国)とロシアのプログレス基地も訪問した。東経150度線に至った後は北上し, 3月16日に南緯55度を通過し, シドニー港への入港は3月21日であった。

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こんな論文どうですか? 第40次南極地域観測隊夏期行動報告 1998-1999(白石 和行),2001 http://t.co/OExW6BALdk 越冬隊40名, 夏隊20名及びオブザーバー6名の総計6…
こんな論文どうですか? 第40次南極地域観測隊夏期行動報告 1998-1999(白石 和行),2001 http://id.CiNii.jp/1oCL 越冬隊…

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