- 著者
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坂本 つや子
- 出版者
- 三重大学
- 雑誌
- 人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
- 巻号頁・発行日
- vol.19, pp.71-87, 2002-03-25
Oscar Wildeの三つの作品,The Importance of Being Earnest, Salome, The Selfish Giantについて,「庭」という観点から論じる。The Importance of Being Earnestでは,第一幕はロンドンのフラット,第二幕はウールトンのマナーハウスの庭,第三幕はマナーハウスの邸内が背景に設定されている。作者はShakespeareのA Midsummer-Night's Dreamを下敷きにして,宮廷の秩序に対する森の混沌,あるいはArtに対するNatureという,古典的対立概念を作品の構成に利用し,全体の秩序を統べる者として,Duchess of Bolton (舞台には登場しない)及びLady Bracknellを設定している。Salomeは聖書のエピソードと,Flaubertの短編Herodiasをもとに書かれた戯曲である。この作品には歴史と文明の集積地としての肉体が「囲われた庭」としてイメージされている。Salomeを恋する若者は彼女の肉体を「没薬(ミルラ)の園」と呼ぶ。Iokanaanは自らの身体を「主なる神の御堂」と呼ぶが,思想的純粋さに対する彼の自負は,Salomeの直観によって否定される。サロメは彼の神聖な白い身体とそそけた黒髪を「鳩や銀の百合に満ち満ちた庭園」,「茨の冠」に喩える一方,「癩病に冒された皮膚の白」,「黒葡萄を飾ったディオニュソスの髪」に喩える。このようにsalomeにおいては,聖とともに汚れや異教世界をも内包する,矛盾に満ちた複合体としての「囲われた庭」が渇仰の対象となる。The Selfish Giantは巨人の城に付属する広大な「庭」を背景に描かれている。童話の形式を取ったこの短編は,幼子の姿をしたキリストの「囲われた庭」への訪問,巨人のキリスト迫害と回心,キリストの顕現と聖痕の提示,巨人の「楽園」への昇天を描く奇跡劇(ミステリー・プレイ)である。