著者
古川 智恵子 豊田 幸子
出版者
名古屋女子大学
雑誌
名古屋女子大学紀要 (ISSN:02867397)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.11-20, 1982-03-31

北設楽地方における女の仕事着の戦後から現代までの着衣形態の変遷について,当地を調査した範囲から次の結果を得た.明治以前からひきつがれてきた北設楽地方の仕事着は,仕事の種類によって着丈を自由に調節し得る長着と腰巻に半幅帯をしめ,畑作,山仕事には,はばきをつける着衣形態が6ケ町村の共通パターンであった.地域により,水田作業の時には股引を,畑作,山仕事には,はばきのかわりに,たつけやもんぺを着用する着装形態であった.この主流形態は昭和20年頃まで続いたが,その後長着物,腰巻のワンピース形態から,上は腰までの丈の和服式上半衣,すなわち標準服又は活動衣とよよ半じゅばん形態と,下半衣はたつけがもんぺを組合わせる上下二部式の着衣形態への変遷が徐々にみられ始めた.昭和20〜30年の間はこの作業衣形態が主流をしめ,余り大きな変化はみられなかった.昭和23年の農家生活改善普及事業による農作業衣改善運動の影響により,少数の農村の婦人達は改良作業衣,洋服式作業衣の講習を受け導入を試みたが,大半の婦人達はそれを受け入れる経済的基盤がなく,従来の仕事着に強い愛着を示していた.昭和30〜40年にかけては,高度経済成長政策によって農家の経済生活は上昇し,生活様式も次第に洋風化してきた.仕事着も今までの和服様式から,和洋併用,又は折衷の形態がふえ,ズボン式もんぺ等ズボンの長所を採用した下半衣が着用された.昭和40年以後はアパレル産業の台頭とともに北設楽郡にも,地域によって遅速はあるが洋服化が進行し,既製の作業衣へと年次的に変化している.現在の仕事着は,水田,畑作,山仕事いずれの作業時においても,上半衣,下半衣の二部式着衣型式である.その組合わせは,腰切と既製もんぺ,ブラウスにズボン式もんぺ,ブラウスや綿シャツにジーンズ,あるいは既製作業衣上下,色とりどりのトレーニングウエアの上衣など,いずれの年代も既製で作られた仕事着を,色彩,形にこだわらず自由自在に和洋組合わせて着装している状態がみられた.そしていずれの地域においても,ほとんどの人がかっぽう着やエブロンを仕事着の上に着ている共通性がみられた.以上のことから現代では,地域性はほとんど消滅し,代わって既製作業衣という画一化が進みつつあるのが現状であるといえよう.第1,2報とも次の方々には調査に対し御協力を賜わり,ここに深く感謝申し上げます.稲武町……今泉常四郎氏 79歳,鈴木清敏氏 85歳.設楽町……熊谷好恵氏 86歳,沢田みよ氏100歳.東栄町……佐々本亀鶴氏 77歳,一の瀬しげの氏 81歳.津具村……村松まつの氏 97歳,村松しき氏 53歳.豊根村……青山鉄二郎氏 75歳,清川さだ氏 74歳.富山村……田辺正一氏 80歳,鈴木より子氏 67歳.

言及状況

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こんな論文どうですか? 北設楽地方における女の仕事着に関する調査(第2報) : 戦後から現代までの変遷,1982 http://ci.nii.ac.jp/naid/110000954500

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