著者
三浦 雄二
出版者
慶應義塾大学
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.41, no.6, pp.83-101, 1999-02-25

<豊かさ>は資本主義的高度産業社会の構造的仕組みが産み出したもので,それ自体社会のものである。社会の<豊かさ>はその華やかさによって人々の目を奪うが,その背後では社会そのものがこの構造的仕組みに方向付けられながら,強大な全体的構造を作り上げていることを意味する。<豊かさ>を維持するためにはこの構造的仕組みが強化されなければならず,そのためには諸個人が犠牲にされることも省みられない。それは<豊かさ>が漲っていたときもそうであったし,今日のように<豊かさ>に翳りが見え始めている場合もそぅである。<豊かさ>はその背後で人間と社会の関わりが大きく構造の側に傾いたままであることを気づかせない。資本主義的高度産業社会はこれからも<豊かさ>の擁護をめぐって展開していかざるを得ず,それは構造的問題性を強化こそすれ緩和させることはないであろう。我々は資本主義的高度産業社会の構造的在り方を問題視していかなければならない。人々は強大化していく社会構造の中で,生活そのものをその中に組み込まれていく。彼らにとっての社会ともいうべき社会生活そのものが<豊かさ>に包まれているからで,それによって彼らの目は彼らの存在が形式的のみならず実質的にも構造に対して卑小化している現実に届きにくくなっている。<豊かさ>の故に人々は,あたかもその存在を社会によって丸飲みにされてしまったかのようである。それは包摂とでも表現すべき状況であり,現代日本の資本主義的高度産業社会としての構造的問題性を集約的に表現している。人々の間には構造に対する依存の体質が拡がり,その限界が現れてきているにもかかわらず,個人的には依存の姿勢を一層強めようとする気配を見せている。今日,資本主義的高度産業社会における人々,とりわけ日本の労働者の間に,社会の構造的在り方に積極的に働きかけ,構造的問題性の緩和に努力しようとする姿勢は全く見られない。見られるのは自分だけは<豊かさ>の享受から振り落とされまいとする極めて利己的な態度でしかない。<豊かさ>は人間と社会の関わりにとって批判的に究明されねばならない問題なのである。

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RT @salmonsnare : 高度産業社会の<豊かさ>, http://ci.nii.ac.jp/naid/110000955476/

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