著者
本田 康雄
出版者
埼玉短期大学
雑誌
学校法人佐藤栄学園埼玉短期大学研究紀要 (ISSN:13416006)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.96-87, 2003-03-31

小新聞「平仮名絵入新聞」(東京絵入新聞)は犯罪・情痴事件等の報道に挿絵を入れて人気を得た。「仮名読新聞」の「鳥追ひお松の伝」、「東京絵入新聞」の「金之助のはなし」「毒婦お伝のはなし」は事件を連載記事として回数を重ね特に絵入り雑報の連載は読者にとっては新聞紙上に江戸の草双紙合巻が展開する観があった。明治十三年からは東京・大阪の新聞にこの種の絵入続き物が「現代物」「時代物」の二本建てで掲載された。明治十五年より大新聞(政論新聞)は政党新聞となり度々の新聞条令(特に明治十六年の改正条令)によって廃刊乃至雑報記事中心の新聞へ性格を変更した。その時、小新聞(特に朝日新聞)が絵入続き物を武器として新聞界を制覇した。明治十九年より読売新聞は給人続き物に対抗して「小説」を「小説欄」に掲載した。以後、読売の「小説」と朝日の「絵入続き物」が競合、融合しつつ新聞小説が全国各紙に普及するに至る。

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