- 著者
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鈴木 武晴
- 出版者
- 山梨英和学院 山梨英和大学
- 雑誌
- 山梨英和短期大学紀要 (ISSN:02862360)
- 巻号頁・発行日
- vol.28, pp.1-12, 1994
本稿は、萬葉集巻第十八に収められている大伴家持の「史生尾張小咋(ししやうをはりのをくひ)を教へ喰(さと)す歌」(前文・四一〇六〜四一〇九番歌)の長歌四一〇六番歌の「波居弖」の本文と訓について考察したものである。四一〇六番歌の本文は、伝来の途上損傷を受け平安時代に補修された蓋然性が高く、問題を持つ。「波居豊」も問題箇所の一つである。この「波居弖」の本文についての諸説のうち、「波」と「居弖」の間に「奈礼」の脱落があると見て「波奈礼居弖」(離(はな)れ居(ゐ)て)を萬葉集原本の本文と捉える説と、「波」は「放」の誤写であると捉 (ゐ)えて「放居弖」(放(さか)り居(ゐ)て)を原本の本文とする説の二つの説が有力候補として残る。そこで、その二つの本文のうちいずれが妥当か、「はなる」と「さかる」の語義・用法、文脈への適応、原文表記等の観点から詳細に検討した。その結果、誤写説の本文「放居弖」(放(さか)り居(ゐ)て)を原本の本文と推断した。この「放居弖(さかりゐて)」は反歌の表現の形成に作用しており、反歌第一首四一〇七番歌の歌い起こしの「あをによし奈良にある」の表現は、この「放居弖(さかりゐて)」を具体化した表現と考えられる。