著者
前田 しほ
出版者
日本ロシア文学会
雑誌
ロシア語ロシア文学研究 (ISSN:03873277)
巻号頁・発行日
no.34, pp.75-82, 2002

現代ロシアの代表的な女性作家であるワレーリヤ・ナールビコワは,1958年にモスクワに生まれ,ゴーリキー名称文学大学を卒業し,1988年にЮность誌にデビュー作『昼の星と夜の星,光の均衡Равновесие света дневных и ночных звезд』を発表した。80年代後半から90年代にかけてロシア文学界は,ソ連時代の抑圧から解放された作品群が堰を切ったように登場し,華々しい時代を迎えていた。それらの中でもナールビコワの作品は言語に対する豊かな感性と官能的な言葉の響きで読者を圧倒し,その「過激さ」はソビエトの読書界に大きな衝撃をもたらした。作家アンドレイ・ビートフは上記の作品の序文で,彼女の作品世界は「驚くほど魅惑的で,透明で繊細で」,その文体は「息遣いのように彼女固有のもの」だと賞賛した。その一方で,ナールビコワの作品が保守的な読者や批評家からは大きな怒りと反発を買ったことも指摘せねばなるまい。ウルノフによれば,ナールビコワの小説は「技巧的な言葉使い」によって複雑にされた陳腐なものにすぎない。性や生理を正面から取り上げたため,当時は「スカートをはいたマルキ・ド・サド」「ポルノグラフィ」「官能小説」といった風評が流れたという。しかし実際は,ナールビコワの描写はエロティックではあっても,ポルノグラフィの性質はまったく欠いている。性行為そのものの描写は避けられ,隠楡やほのめかしを駆使した言葉遊びが展開される。エロティックなのは文体のかもしだす雰囲気なのだ。ナールビコワにコンセプチュアリズムとの関連性が指摘されるのも,言葉遊びを駆使した文体ゲームによるところが大きい。代表的な例だけでも,しゃれ,文字・言葉の入換え,くりかえし,否定のнеを多用した言葉遊びなどがあげられる。まるでゲームでもしているかのようだ。また,ロシア古典文学をはじめとして,聖書や史実,おとぎ話,スローガン,子ども向けテレビ番組などからさまざまなテキストが借用される。作品の題名や人物名にもその遊び心はよくあらわれている。これら文体的特徴については別の場で論じているので,本稿では深く立ち入らないが,ナールビコワの官能性は文体と密接に結びついたものである。しかしエロティシズムがいかにして生生れ高められているかという構造を解明するには,文体との関係だけでなく,プロットの面からの考察も必要だろう。従来の議論では,文体の濃密さに対してプロットの稀薄さが目立つと指摘されてきた。確かにプロットは動きが少なく,劇的な変化も展開も期待されない。しかしそれは男女の恋愛に描写を集中するために,それ以外の事物が極力省略されているからだろう。ナールビコワの描く恋愛は常に「不可能」であることを前提とした,いってみれば禁じられた恋だが,まさにこの禁止こそがエロスを生みだす要因である。なお今回の分析にあたっては『一人目のプランと二人目のプランПлан первого лица. И второго』(以下『プラン』と略す)と『オコロ・エコロОкодо зкодо』の二作品を題材とした。

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