著者
前田 しほ
出版者
島根大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-07-10

旧ソ連の独ソ戦の記念碑を中心に戦争記憶を調査し、文化史的視座から旧ソ連諸国の愛国主義のメカニズムを分析・考察することを目的とする。敗戦国である日本にとって、戦勝国の戦後イデオロギーは理解しがたい。総力戦の栄光の勝利の記憶は、ナショナル・アイデンティティの基盤である。そして、ソ連の愛国主義プロパガンダの戦略は、後継国家であるロシアをはじめ、中国・北朝鮮・モンゴルなど、北東アジア地域一帯に影響を及ぼしており、ソ連の戦争についての記憶研究を充実させることが肝要だ。このような観点に基づき、旧ソ連全体を調査対象として、今日残っているソ連の戦争記念碑と、ソ連崩壊後に造られた戦争記憶を広く収集した。
著者
前⽥ しほ
出版者
ロシア・東欧学会
雑誌
ロシア・東欧研究 (ISSN:13486497)
巻号頁・発行日
vol.2021, no.50, pp.21-41, 2021 (Released:2022-06-11)
参考文献数
47

This paper discusses female allegorical statues, that is, Motherland and the Lamenting Mother, as Soviet monuments and memorials about the German-Soviet War of the Second World War. In general, we do not meet female citizens in public monuments because modern nations purge women from public spaces to private areas, that is, family spaces. Instead of individual women, they use images of allegorical women, for example, the Archaic goddess Nike/Victoria as a symbol of an imagined community and Marianne in the French Republic.In Soviet war monumental/memorial space, we meet such a symbolic gender structure: Red Army soldiers and allegorical females. In this case, we consider the Archaic goddess featured in Motherland and the Lamenting Mother statue. Since the collapse of the Soviet Union, in the process of restructuring war memorial spaces, newborn nations have removed male statues, for example, Lenin, revolutionists, politicians, generals, academicians, artists, and Red Army soldiers, which commemorate great Soviet hegemony. In contrast, female allegory stays in public spaces even today because female unindividual statues are an empty medium that can introject any concept.It was found from the result of fieldwork in the former Soviet Union that Motherland, which has occupied a position as national symbol in the Russian Federation, has lost power to unite nation and people. In fact, the Motherland statue had not been built in Estonia, Lithuania, Azerbaijan, or Central Asia. Regarding Latvia, Moldova, Belarus, and Georgia, we meet small-size variants. On the other hand, Lamenting Mother statues, who mourn for the war dead, have been raised in the whole country, even today. Local communities find space to share the pain of loss of relations and friends, homes, property, and life, in memorials in the shape of the Lamenting Mother, who is similar to the Holy Mother.We are here concerned with the implications of social and cultural context of these two female allegories. In the first chapter, we focus on the period of Khrushchev. Stalin had oppressed all war memory and, after his death, people began to narrate personal experiences about war and build memorials for the dead in burial places. We cannot find a clear distinction in early female allegory statues. The 20th anniversary of the Victory, that is, the year 1965, brought a fundamental change in war memorial-commemoration spaces. In those days, Nike-type statues were raised as national symbols to unite the nation and people, such as The Motherland Calls at the top of Mamai Hill to commemorate the Battle of Stalingrad. In the second and third chapters, we illustrate distribution, location, size, shape of Motherland and Lamenting Mother statues in detail. Next, in the fourth chapter, we classify Lamenting Mother statues according to type of icons of the Holy Mother: Eleusa, Pieta, Our Lady of Sorrows, and Orans. We consider that the cult of the “Lamenting Mother” is based on the faith of the Holy Mother. Next, we surmise that early Christianity had united the faith of the Holy Mother with the cult of local great mothers in the course of Christian religion in Europe. Similarly, Islam assimilated local great mothers in Central Asia. It is possible that Soviet people, including Muslims, had a basis for accepting the Soviet secularized Holy Mother. And, finally, we examine threat factors inherent in the Lamenting Mother-type statue.
著者
前田 しほ 高山 陽子 喜多 恵美子
出版者
島根大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2017-04-01

本研究課題は、北東アジア地域において、近代化モデルとしての社会主義が文化としていかに発達したのかという観点から、DPRKに注目し、①公的プロパガンダの観察・資料収集・文化コード解読、②ソ連・中国からの近代化モデルの輸入と現地化の調査・分析・検討、③日本から朝鮮半島への社会主義イデオロギー・芸術流入のプロセスの調査・分析・検討、④他の社会主義国家との比較・分析の4点を主要課題とする。初年度である平成29年度は、研究基盤の整備と構築と位置づけた。研究分担者のほか、研究協力者を複数加え、旧ソ連・中国・朝鮮半島と研究対象国や専門分野が異なる研究者がチームを組むため、共同研究としての体制を整える必要があり、複数回の研究打ち合わせと全メンバー参加の研究会を二回行った。6月の第一回研究会(会場:大谷大学)では、各自の研究紹介を行い、問題意識の共有を図り、今後の研究方針を検討した。本研究課題においては、海外調査が重要であるため、初年度は調査機材をそろえることに重点をおき、予備調査として、ロシア、ウクライナ、ドイツ、中国、韓国、ベトナムにメンバーを派遣した。別途、メンバー三名が私費あるいは他費でDPRKに渡航し、調査を行った。またDPRKに関する資料を豊富に所蔵する朝鮮大学校においても、資料収集と調査を行った。これら各調査では現地の研究状況の把握に努め、現地協力者・協力研究機関確保の可能性を探った。2月の第二回研究会は、朝鮮大学校朝鮮問題研究センター・朝鮮文化研究室との共催で研究発表・調査報告を行うものとなった。朝鮮大学校からは会場提供のほか、発表者・司会者・討論者がでての共同研究会となり、聴衆として参加した教員・学生を交えて、活発な議論が行われた。また予備調査の報告を受けて、二年目以降の本格的な調査の方向性・方針を固めた。総じて、初年度としては良好なスタートを切ったと考えている。
著者
前田 しほ
出版者
日本ロシア文学会
雑誌
ロシア語ロシア文学研究 (ISSN:03873277)
巻号頁・発行日
no.34, pp.75-82, 2002

現代ロシアの代表的な女性作家であるワレーリヤ・ナールビコワは,1958年にモスクワに生まれ,ゴーリキー名称文学大学を卒業し,1988年にЮность誌にデビュー作『昼の星と夜の星,光の均衡Равновесие света дневных и ночных звезд』を発表した。80年代後半から90年代にかけてロシア文学界は,ソ連時代の抑圧から解放された作品群が堰を切ったように登場し,華々しい時代を迎えていた。それらの中でもナールビコワの作品は言語に対する豊かな感性と官能的な言葉の響きで読者を圧倒し,その「過激さ」はソビエトの読書界に大きな衝撃をもたらした。作家アンドレイ・ビートフは上記の作品の序文で,彼女の作品世界は「驚くほど魅惑的で,透明で繊細で」,その文体は「息遣いのように彼女固有のもの」だと賞賛した。その一方で,ナールビコワの作品が保守的な読者や批評家からは大きな怒りと反発を買ったことも指摘せねばなるまい。ウルノフによれば,ナールビコワの小説は「技巧的な言葉使い」によって複雑にされた陳腐なものにすぎない。性や生理を正面から取り上げたため,当時は「スカートをはいたマルキ・ド・サド」「ポルノグラフィ」「官能小説」といった風評が流れたという。しかし実際は,ナールビコワの描写はエロティックではあっても,ポルノグラフィの性質はまったく欠いている。性行為そのものの描写は避けられ,隠楡やほのめかしを駆使した言葉遊びが展開される。エロティックなのは文体のかもしだす雰囲気なのだ。ナールビコワにコンセプチュアリズムとの関連性が指摘されるのも,言葉遊びを駆使した文体ゲームによるところが大きい。代表的な例だけでも,しゃれ,文字・言葉の入換え,くりかえし,否定のнеを多用した言葉遊びなどがあげられる。まるでゲームでもしているかのようだ。また,ロシア古典文学をはじめとして,聖書や史実,おとぎ話,スローガン,子ども向けテレビ番組などからさまざまなテキストが借用される。作品の題名や人物名にもその遊び心はよくあらわれている。これら文体的特徴については別の場で論じているので,本稿では深く立ち入らないが,ナールビコワの官能性は文体と密接に結びついたものである。しかしエロティシズムがいかにして生生れ高められているかという構造を解明するには,文体との関係だけでなく,プロットの面からの考察も必要だろう。従来の議論では,文体の濃密さに対してプロットの稀薄さが目立つと指摘されてきた。確かにプロットは動きが少なく,劇的な変化も展開も期待されない。しかしそれは男女の恋愛に描写を集中するために,それ以外の事物が極力省略されているからだろう。ナールビコワの描く恋愛は常に「不可能」であることを前提とした,いってみれば禁じられた恋だが,まさにこの禁止こそがエロスを生みだす要因である。なお今回の分析にあたっては『一人目のプランと二人目のプランПлан первого лица. И второго』(以下『プラン』と略す)と『オコロ・エコロОкодо зкодо』の二作品を題材とした。