- 著者
-
塚原 孝
- 出版者
- 日本ロシア文学会
- 雑誌
- ロシア語ロシア文学研究 (ISSN:03873277)
- 巻号頁・発行日
- no.34, 2002
アンドレーエフの最後の作品『悪魔の日記』には,「まさにマドンナ」と形容される女性が登場する。彼女は「大いなる平安」を与える存在であるが,アンドレーエフの初期作品では,一貫して性的対象という側面からのみ女性が描かれていることを考えると両者問の差異は大きい。また,あらゆる事象に対して懐疑的で,普遍的,絶対的と思われるものには常に否定的見解を示したアンドレーエフが,こと女性という存在に関しては例外的にそのような結論を下していないが,このことはアンドレーエフにとって女性という存在が重要な要素でありうることを示している。本報告ではまず,アンドレーエフの描く女性像になぜ大きな変化が見られるのかを考える上で,その転換点の作品として『獣の呪い』(1907年)を捉え,これに前後する時期に書かれた『人の一生』『黒い仮面』『イスカリオテのユダ』などの作品とともに,そこに登場する女性がどのように描かれているのかを例示した。すなわち,各主人公たちはそれぞれが何ものかによる大きな喪失を経験したのちに,「偉大なる輝かしい神秘」と規定されるそれぞれの恋人,あるいは妻のもとへ最後の救いを求めるという同一のモチーフを繰り返しているのであり,その女性たちは,それまでのアンドレーエフの物語の中には描かれることのなかった,主人公を「悪と死から護」り「美と生命を造り出す」女性として描かれていた。続いて,そのような変化がこの時期に起こったことの要因として,アンドレーエフと彼の最初の妻アレクサンドラとの関係に注目し,特に1906年11月のアレクサンドラの死による影響を考えた。「情熱的な愛人であると同時に母の愛をもって愛しうる」女性であり,その創作活動自体にも大きく関与していた妻の死がアンドレーエフにいかなる衝撃をもたらしたかを示す資料は多い。白昼夢にまで亡き妻の姿を追い続けるというのは,極めて病的な当時のアンドレーエフの精神状況を語る資料のひとつであるが,のちに再婚しながらも公然と亡きアレクサンドラへの思慕を口にしていたこと,『獣の呪い』『人の一生』のいずれもが彼女への献辞を伴い,さらに1909年に発表された『人の一生』の第5幕のバリアントにはその死という現実が如実に反映していることなども含めて考え,本報告では,「偉大なる輝かしい神秘」として突如この時期に登場し始める女性たちが,他でもない失われた妻アレクサンドラの投影であることを想像するには難くないとした。またこの時期以降女性たちがにわかに神的な要素を帯び,最終的に『悪魔の日記』のマドンナへと展開していったのは,彼女へのアンドレーエフの思慕の強さ,そして同時にその喪失があまりにも早い時期に訪れたがための帰結であろうとし,その分析に関しては以降中後期の作品における女性像の展開と共に今後の課題とした。