著者
森村 豊 千葉 聖子 荒木 由佳理 添田 喜憲 塚原 孝 柴田 眞一 古川 茂宣 添田 周 西山 浩 藤森 敬也
出版者
The Japanese Society of Clinical Cytology
雑誌
日本臨床細胞学会雑誌 (ISSN:03871193)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.110-115, 2012
被引用文献数
1

<b>目的</b> : ベセスダ方式に準拠した細胞診報告様式では, 適正標本は 8,000 個以上の扁平上皮細胞の採取が条件である. 子宮頸がん集団検診標本でこの条件に関する検討を行った.<br><b>方法</b> : 2008 年の子宮頸がん集検の標本 69,584 例について, ベセスダ方式による不適正例数を算出し, 従来の独自の基準で判定した不適正率と比較した. 2004 年に, 従来基準で「細胞数が少なく不適正だが評価可能」としていた 120 例でその後, 重篤な病変が検出されていないか調査した. その従来の不適正だが評価可能とした症例の細胞数について計測した.<br><b>成績</b> : ベセスダ方式で不適正と判定された例は 590 例, 0.85%で従来方式の 77 例, 0.11%に比して有意に不適正率が高かった. 不適正だが評価可能とした 120 例で, その後の受診が確認され, 1 例のみ軽度異形成が検出された. 不適正だが評価可能とした 120 例の細胞数の中央値は 500 個であった.<br><b>結論</b> : 子宮頸がん集検の検体に, ベセスダ方式を厳格に適応すると, 不適正標本を増加させ実務上問題がある. 暫定的に一定数以上の細胞数の検体を「不適正だが評価可能」とし, 今後, 細胞採取者に適正な検体を提出するよう十分な教育が必要である.
著者
森村 豊 千葉 聖子 荒木 由佳理 塚原 孝 佐藤 美賀子 柴田 眞一 古川 茂宣 添田 周 渡辺 尚文 藤森 敬也
出版者
The Japanese Society of Clinical Cytology
雑誌
日本臨床細胞学会雑誌 (ISSN:03871193)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.330-334, 2013-07-22
参考文献数
16
被引用文献数
1

<b>目的</b> : ベセスダ方式の導入で, 標本の適正・不適正が評価されるようになった. 不適正標本の減少のため, 検体採取医にみずからの不適正発生率を通知し, 改善効果を検討した.<br><b>方法</b> : 福島県内の子宮頸がん集団検診で, 施設検診を行った 114 施設に, 2009 年 4 月∼2010 年 3 月の各施設の不適正率を報告した. 次いで 2010 年 4 月∼2011 年 3 月の 114 施設の不適正率の推移を比較した.<br><b>成績</b> : 2009 年 4 月∼2010 年 3 月の不適正率は 51,863 件中 3,529 件, 6.8%であったが, 2010 年 4 月∼2011 年 3 月は 56,162 件中 1,875 件, 3.3%で有意に減少した.<br>不適正標本が有意に減少した施設は 54 (47.4%), 有意ではないが減少した施設は 42 (36.8%) であった.<br>改善施設では, 一部は綿棒採取をやめたことで, 不適正検体が著しく減少した施設もあったが, 従来からスパーテル, ブラシ採取であった施設でも多くで改善がみられた.<br><b>結論</b> : 施設ごとの不適正発生率を報告することで, 検体採取医が採取器具を変更したり, 検体採取時に留意を促すことで, 不適正標本の減少が期待できる.
著者
塚原 孝
出版者
日本ロシア文学会
雑誌
ロシア語ロシア文学研究 (ISSN:03873277)
巻号頁・発行日
no.34, 2002

アンドレーエフの最後の作品『悪魔の日記』には,「まさにマドンナ」と形容される女性が登場する。彼女は「大いなる平安」を与える存在であるが,アンドレーエフの初期作品では,一貫して性的対象という側面からのみ女性が描かれていることを考えると両者問の差異は大きい。また,あらゆる事象に対して懐疑的で,普遍的,絶対的と思われるものには常に否定的見解を示したアンドレーエフが,こと女性という存在に関しては例外的にそのような結論を下していないが,このことはアンドレーエフにとって女性という存在が重要な要素でありうることを示している。本報告ではまず,アンドレーエフの描く女性像になぜ大きな変化が見られるのかを考える上で,その転換点の作品として『獣の呪い』(1907年)を捉え,これに前後する時期に書かれた『人の一生』『黒い仮面』『イスカリオテのユダ』などの作品とともに,そこに登場する女性がどのように描かれているのかを例示した。すなわち,各主人公たちはそれぞれが何ものかによる大きな喪失を経験したのちに,「偉大なる輝かしい神秘」と規定されるそれぞれの恋人,あるいは妻のもとへ最後の救いを求めるという同一のモチーフを繰り返しているのであり,その女性たちは,それまでのアンドレーエフの物語の中には描かれることのなかった,主人公を「悪と死から護」り「美と生命を造り出す」女性として描かれていた。続いて,そのような変化がこの時期に起こったことの要因として,アンドレーエフと彼の最初の妻アレクサンドラとの関係に注目し,特に1906年11月のアレクサンドラの死による影響を考えた。「情熱的な愛人であると同時に母の愛をもって愛しうる」女性であり,その創作活動自体にも大きく関与していた妻の死がアンドレーエフにいかなる衝撃をもたらしたかを示す資料は多い。白昼夢にまで亡き妻の姿を追い続けるというのは,極めて病的な当時のアンドレーエフの精神状況を語る資料のひとつであるが,のちに再婚しながらも公然と亡きアレクサンドラへの思慕を口にしていたこと,『獣の呪い』『人の一生』のいずれもが彼女への献辞を伴い,さらに1909年に発表された『人の一生』の第5幕のバリアントにはその死という現実が如実に反映していることなども含めて考え,本報告では,「偉大なる輝かしい神秘」として突如この時期に登場し始める女性たちが,他でもない失われた妻アレクサンドラの投影であることを想像するには難くないとした。またこの時期以降女性たちがにわかに神的な要素を帯び,最終的に『悪魔の日記』のマドンナへと展開していったのは,彼女へのアンドレーエフの思慕の強さ,そして同時にその喪失があまりにも早い時期に訪れたがための帰結であろうとし,その分析に関しては以降中後期の作品における女性像の展開と共に今後の課題とした。