著者
佐野 洋子
出版者
日本ロシア文学会
雑誌
ロシア語ロシア文学研究 (ISSN:03873277)
巻号頁・発行日
no.34, 2002

何世紀にもわたってロシヤの農民が語り継いできた,チョルトの形象についての考察。チョルトは,様々な時代の様々な地方の民衆のイメージが入り組み,絡み合いながら創りあげられた総合体であり,民衆の中から生まれたロシヤ的なるものの中にキリスト教的なるものがより分けることができないほど複雑に入り混じっている複合体である。チョルトヘの真の信仰はすでに19世紀後半に薄れ始めてはいたが,チョルトに関する諺や呪文が無数あることからもわかるように,ロシヤ人は日常生活の中で,普段の言い回しの中で,チョルトのобразを描き続け,自分の左側にいるチョルトの存在を常に意識して生きている。他の精たちと比べて,チョルトが登場するフォークロアのジャンルは非常に広範囲に渡っている。легенла,прелание,быличка,бывалыцина,сказка,анеклотなどである。信仰のあるジャンル,быличкаやбывалыцина,またлегенлаやпреланиеに出てくるチョルトは,神に対立するものであったり,赤ん坊をさらう,自殺に追い込むなどの悪のシンボルで,誘惑者的要素が濃く,信仰の失われたジャンル,сказкаやанеклотでは,兵士や女を怖がり,まずい立場に陥って,人間にさえも負けてしまうコミカルな馬鹿チョルトの性格が前面に押し出されている。が,信仰のあるジャンルの方でも,抽象的絶対悪というサタンや悪魔などというイメージからは決して感じられない要素,情けないチョルト,魔法使いごときの人間にこき使われたりする姿がよく見られ、сказкаに強調されるチョルトの性格が,ここでもうっすらと見え隠れしている。例えば,以前は天使だったのだから,天使の歌を調えるはずだと,空のクルミの中にいたチョルトに十字を切って天使の歌を無理やり歌わせる隠者についてのлегенлаは,この隠者の嘲笑的ないたずらによってとてもユーモラスに語られている。このように,どのジャンルにも濃い、薄いの違いはあるにせよ,悪の誘惑者から馬鹿チョルトに至るまでのチョルトの性格が現れている。日本語ではすべて悪魔という訳で片付けられてしまうСатана,Льявол,бесとの違いを農民は,「чёртはうろたえさせ,бесは挑発し,Льяволは無理強いし,Сатанаは信仰厚き人の心の迷いを認知する」と断言する。チョルトと他の悪魔たちの関係を考えるに,両者は共に悪という点では共通するが,その悪という概念だけでは説明できないロシヤ土着の要素がチョルトには多く見られる。そのため,チョルトはキリスト教国教化以前のロシヤにもともと存在していた形象であったと推定される。結局,「神には祈り,チョルトとは駆けずり回る」と言うように,チョルトは人生の伴侶のようなもの,避けがたい必要不可欠な人生の道連れであり,キリスト教の善悪という概念では捉えきれない広さの持ち主,善悪と単純に割り切れない人生のすべてを含んだ存在ではなかろうか。

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