- 著者
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谷山 鉄郎
- 出版者
- 日本作物学会
- 雑誌
- 日本作物学会東海支部会報
- 巻号頁・発行日
- no.113, pp.29-33, 1992-07-01
1990年8月2日, イラク軍のクウェートへの侵略は世界の人々をおどろかせた.それから6ヵ月もたたない1991年1月17日, 米軍を主体とする多国籍軍がイラクを攻撃し, いわゆる湾岸戦争が始まった.わずか43日間, 1991年2月28日に湾岸戦争は終った.湾岸戦争は油田と砂漠上であること, さらに, ペルシャ湾への原油の大量流出や多数の油井火災による著しい環境汚染をもたらした.1990年11月29日の国連安全保障理事会の決議は, (1)イラクのクウェートからの即時, 完全, 無条件撤退, (2)クウェートに合法的な政府を回復, (3)国外のアメリカ市民の保護, (4)米国の国家安全保障にとって極めて重大な地域の安全保障と安定の四つの目的を達成するためのもので, 米指導者の解釈で広範な軍事作戦を遂行する権限とイラクの戦闘能力完全破壊の正当性が与えられた.1991年1月15日以降「必要なあらゆる手段」を取ることを米指導者は表明した.このようにして2日後の1月17日, 現地時間午前3時, 米軍を主力とする7ヵ月国からなる戦闘機668機が史上最大ともいえる激しい空爆を開始, 十数時間のうちに1, 000回も出撃, また海上からはトマホーク・ミサイルが100発以上発射され, いわゆる湾岸戦争が始まった.43日間の死者は軍・民間人で11万から33万5, 000人, 1日当たり2, 500から3, 000人のイラク人が死亡したと推定されている.