- 著者
-
関根 慶太郎
- 出版者
- 一般社団法人電子情報通信学会
- 雑誌
- 電子情報通信学会総合大会講演論文集
- 巻号頁・発行日
- vol.1996, pp.539-540, 1996-03-11
何故ニワトリの足は4本なのか?先日友人同士集まって雑談をしていたところ、最近の小学生にニワトリの絵を描かせると、足を4本持ったニワトリを描くものがかなりいるそうだ、という話になった。それを受けて別の友人が、でもそんなのはまだ良いよ、私の知人の家では、高いお金を払ってデパートで大きなカブトムシを子どもに買ってやったところ、しばらくして子どもが、「電池を買って頂戴」といってきた。理由を聞いたら、カブトムシが動かなくなったから「電池切れ」だという。子どもの話だと思って笑っていたら、ある有名大学の電気工学の実験の時間に、学生が「指導書の通りに配線してもモータが動かない。この指導書は間違いではないか」と真顔で抗議にやってきた。行ってみたら、確かに配線は正しいが、なんとビニール線の被覆を剥いていなかった、という極め付きの話題まで飛び出してきて、一同口アングリとなってしまった。しかし、ビニール線を剥かない、というのは話題性があるが、OPアンプやロジックICの電源回路を配線していない、というのは全国の大学(しかも電気、電子工学科)の学生実験室では、ごくありふれた光景であろう。なぜ、昔なら考えられなかったような珍妙なことが起こるのであろうか?もうおわかりのように、一口で言えば、実物を見たり、触ったり(できれば遊んだり)した体験がないからである。とくに、最近の指導要領の変革で、低学年から、高校に至るまでの過程で、「実験時間に、その実験が行われるのを見たこともない(自分でやってみる、等と言うことは論外である)」という学生が大多数を占めてきているのが現状である。また、むかしなら、電気を学ぼうと志願する学生の多数派の理由は「電気が好きだから」、「電気がやりたいから」であった。従ってラジオとまではいかなくても、電気工作くらいは自分でやった経験を持っており、ビニール線は被覆を剥かなければ電流は流れない、ということくらい「常識」であって、学ぶべき「対象」ではあり得なかった。と、昔を懐かしんでいるだけでは「年寄りの愚痴」であって、「このような体験不足」の学生に技術者、研究者としての基本的な体験を与える」というのが現在の学生実験に課せられた使命といえよう。