著者
吉井 良三
出版者
国立科学博物館
雑誌
国立科学博物館専報 (ISSN:00824755)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.75-99, 1972
被引用文献数
4

北海道の高山帯のトビムシ相は, 世界的な分布の問題からみて, はなはだ興味がある。このたび報告したポロシリ岳からの32種はもちろんその一部分にすぎないだろうが, その資料からおしはかって, ほぼ全体を知ることができよう。ポロシリ岳の北カールには, 調査隊がキャンプした7月下旬にもまだ残雪があり, 万年雪が広い面積を占めていた。日中の気温はすでにかなり高いので, この雪田からは多量の融水が流れ出して, それがカールの底に湿地帯をつくっていた。この湿地帯の周辺では多数のシロトビムシが得られたが, それらはOnychiurus tomuraushensis (YOSII) であった。この種は1940年に, 当時, 第三高等学校山岳部の部員であった梅棹忠夫, 川喜田二郎の両君によってトムラウシ岳(大雪山)の頂上付近の湿地帯からもたらされ, 著者の記載したものである。今回の豊富な資料によって, さらに研究してみると, これは北米に産するOnychiurus subtenuis FOLSOMに近似しており, 肢の小爪の形において差のある別種であることがわかった。BAGNALL(1949)は, 著者の原記載にもとづいて, 本種を模式種としてProtaphorurodesという新属をつくったが, これは彼の立てた他の各種の属とおなじく, 一般には認められていない。しかし, これを亜属としてOnychiurusという大きな属の細分につかうことは, たいへんおもしろいし, また, このような考え方によって, まことに貴重なものであった。棲息地が上述のような高山帯の湿地にかぎられていることからみて, この種は日本のトビムシのなかでも, いちばんcold stenothermalな性質を持っているものと考えられる。報文に記したように, ポロシリ岳の高山帯のトビムシのなかには, シベリアのツンドラ帯や, カナダの極北地方に分布するものがはなはだ多い。また, 別種ではあっても, 上述のシロトビムシのごとく, その近似種が極北の地域に分布している場合がすくなくない。とくに興味のあるのはCephalotoma ursi sp. n.で, その近似種の C. grandiceps (REUTER) はシベリアから, C. macnamarai (FOLSOM) は北米(ロッキー)から知らている。従来, これらの種はIsotoma属に含まれていたのであるが, 今回のC. ursiによって口器を解剖してみたところ, あきらかにIsotomaとは異なっていて, 別属とすべきものであることが判明した。さらに文献により, この C. ursi と同属にすべきものが, ピレネー山脈の高山帯から1種 (Gnathisotoma bicolor CASSAGNAU), ヒマラヤの氷河付近から1種 (Isotoma mazda YOSII) 報告されていることがわかり, 後者の口器を再検討し, 記載した。この報告のなかには, アヤトビムシ科Entomobryidaeに属するものがひとつもない。これは著者が省略したのではなくて, じっさいに1頭も採集されなかったためである。一般にアヤトビムシ科は, 寒地においては, 個体数も, 種類数も減少するのが普通であるが。今回の場合のように極端な結果が出たのはめずらしい。おなじ日高であっても, 山麓の振内付近の資料には多数のアヤトビムシが見られる。日高山脈の高山帯のトビムシを, 北海道の他の山系のそれと比較することは, 現在のわれわれの知識をもってしては不可能である。他の昆虫群とことなり, 今回の報告が北海道の高山帯のトビムシ相に関する唯一の総括的なものだからである。ただ, トビムシの分布についての一般常識からすれば, 日高山脈と, 夕張山脈と, 大雪山系とのあいだに, 大きな差はないだろうという予測はできる。しかし, これを日本アルプスの高山帯と比較すれば, かなり異なったトビムシ相であることは断言できる。黒部五郎岳や, 仙丈岳のカールの残雪付近では, O.tomuraushensisでない別種のシロトビムシ(未記載)が, おなじような生態条件のところに見出されるからである。

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