著者
林 淳
出版者
愛知学院大学
雑誌
人間文化 : 愛知学院大学人間文化研究所紀要 (ISSN:09108424)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.39-51, 2005-09-20

近世の陰陽道は、木場明志氏、高埜利彦氏が着手して以来、大いに進展した研究領域であろう。地方史料を使用した陰陽師の研究も、高原豊明氏、梅田千尋氏、山本義孝氏などによって着実な進展を見せている。しかしそのなかで東北は、まだ陰陽道研究の空白地である。より正確に言うと、陰陽道の空白地であったと見るべきであろう。東北の宗教史においては、全般に寺院や修験の影響が濃厚にあって、陰陽師などの宗教者が食い入る余地はなかったように思われる。しかし東北において陰陽道がまったくなかったかというと、それは正確な歴史認識とは言えない。東北の宗教史において陰陽道は、地域的にわずかに点在する形ではありながらも、わずかに入りこんでいたからである。われわれは、今までその痕跡を見落としてきただけであった。宮城県の岩出山町史編纂室が編纂した『天文暦学者 名取春仲の門人たち』は、近世の仙台藩の天文学が、どれほどの分厚い社会層によって支えられ、継承されていたかを初めて世に知らしめたものであった。それとともに土御門家の安家神道が、天文学という形で伝えられていたことを知る機会になった。これまで研究者は筆者をふくめて、近世の陰陽道を、土御門家の地方配下支配という観点から探究することが多かったが、東北の場合には、天文学として陰陽道が地域に浸透してきたようである。筆者は、渋川春海に関心を抱き、和田光俊氏とともに春海の年譜を作成したことがあった。和田氏を通じて、仙台藩の天文学史を研究し、岩出山町の名取家文書の公刊に尽力していた黒須潔氏と知り合うことができ、『天文暦学者 名取春仲の門人たち』を賜った。そして安家神道 (陰陽道) が天文学に結びついて、受容されていることを筆者は知った。それ以降、岩出山町史編纂室、東北大学図書館を訪れて、史料を閲覧することができたが、史料の内容を分析するほどには至っていない。この小論では、岩出山町の史料を参照しながら、東北地方の陰陽道をスケッチすることにしたい。

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秋田県内に陰陽道が存在したか、また、あったとして、いつ頃、どのように入ってきたものかを知りたい。

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