- 著者
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山田 徹雄
- 出版者
- 跡見学園女子大学
- 雑誌
- 跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
- 巻号頁・発行日
- vol.15, pp.172-150, 1982-03-15
帝制ドイツ建設期における国内市場の在り方をめぐる議論には, 二つの対立する見解-「統合」論と「地域分化」論-がみられる。国内市場形成の錠を握る鉄道建設の進展及びそれにともなう商品流通の深化は, なるほどドイツ経済の「統合」に促進的ではあったが, 地域間競争を排除するものではなかった。即ち, 長距離の幹線建設が地域的市場相互間の商品流通を促進し, 統一的な国内市場の形成に寄与したのに対し, ローカル線建設は工業生産の中心地を核に地域経済的循環を強化することすらあった。こうした脈絡のうちに帝制期フランケン地方の商品流通構造を確定すれば, 次のようになる。ニュールンベルクの工業生産と周辺地域の農業生産との間にみられる分業関係は, 同地方の再生産の基底をなしていた。しかし, 同地方は工業原料及び同製品の調達にあたり, 中部ドイツを始めとする国内のさまざまな地域と市場関係を結ぶ一方, 農産物の地域内自給率は相当高いにせよ, 南バイエルンの穀物生産との関係も無視できない。こうした流通構造は, フランケン地方に二種類の市場的な展望を開かせることになる。即ち, 同地方の農産物と中部ドイツの工業生産物の交換の可能性は, 前者の後者への市場的包摂を展望するものであり, またフランケン地方の工業製品と南バイエルンの農産物の交換は, 「バイエルン」市場をも展望しうる。にもかかわらず, 同地方は隣接地域の市場形成力が衝突し, 相殺しあうという緊張関係の為に, 地域内の分業関係が豊かに形成され, また逆に, 地域内分業の進展が隣接市場への包摂を阻止するという均衡状態にあった。その際, 流通の結節点であり, また地域的な生産拠点であるニュールンベルクの位置は, そこから放射線状に伸びる鉄道によって確固たるものとなっていた。