著者
藤沢 伸介
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.A69-A76, 2001-03-15

大学生の学力低下が話題になっているが, きちんとしたデータの裏付けなしに語られることが多い。筆者は, たまたま15年間継続して大学生に計算問題を課してきていたので, 学力変化のひとつの資料としてその正答状況を提示するのが, 本稿の目的である。行ったのは四則演算を1度ずつ含む学力偏差値の計算問題である。結果は, 1979年度生まれ以降の学生が, 有意に正答率が落ちていた。学力低下の原因としては, 制度, 教育者の行動変化, 学習者の行動変化, 時代の変化など様々な要因が考えられるが, 本調査で見られた急激な変化は, 制度的要因が最も大きいことを示唆しているようにみえる。
著者
安藤 良平
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.25-37, 1990-03-20

明治維新の歴史の陰のなかに江戸薩摩藩邸焼討事件があり、赤報隊 (官軍先鋒嚮導隊) のような悲惨な姿もあり、その情況は前著、国事鞅掌者の映像に述べたとおりであるが、これらの事件に関係した薩摩出身の尊王攘夷家、伊牟田尚平の生涯をみると、かれは目的の為には手段を選ばない非合法活動によって自滅してしまうのであるが、従来伊牟田の最期として「明治維新人名辞典」に記載されたものとはかなり異るのである。たまたま柏市の若松盛彦氏から寄贈された伊牟田尚平の刑事裁判の判決書、当時の伊牟田の口供書、および宣告 (明治二年の京都府史料の写し) によって伊牟田の処罰事情が明らかになったので国事鞅掌者の映像に記述したかれの業蹟を訂正したいとおもい、この小論をまとめることにした。
著者
岩本 憲司
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.113-125, 1988-03-20

本稿は、中村俊也譯『公羊家の哲學』〔白帝社刋、原書は陳柱著『公羊家哲學』〕の正誤表である。紙面の都合で、訂正の對象は、引用文に、しかも、そのうちの、公羊の經・傳・注、春秋繁露、及び左氏の傳・注からのものに、限った。なお、引用文を、譯者は、訓讀しているので、訂正も、やむをえず訓讀で示した。
著者
安藤 良平
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-17, 1984-03-15

薩摩藩江戸屋敷焼打事件に登場する浪士隊の責任者、落合直亮を第一篇に、権田直助を第二篇に掲げたので、第三篇に小島四郎 (相楽総三) をあげて論述する。小島四郎は薩摩浪士隊の総裁として活躍したが、後、赤報隊第一隊々長とし関東に向って出陣中、部下の掠奪暴行事件の責任者として処罰され、刑死するに至った。かれの悲惨な運命について、長谷川伸が「相楽総三とその同志」(昭和十五年から十六年にかけて執筆) で紹介し、これを契機に多くの読者に相楽総三の非運が認識されたが、何故相楽が「にせ官軍」として処刑されたか、その真相が充分にかかれていない。同書執筆の時期が大平洋戦争勃発直前で、明治維新の暗いところは時勢にふさわしくなかったのかもしれない。赤報隊事件は明治新政府が発足後、直面した財政問題と深くかかわり、総三などは財政弥縫策の犠牲者であるとの見解が大方の認識で、それについてのすぐれた論説もみえるがなお明らかでないところがある。本論で関係史料を整理し、相楽総三の実像を再検討してみたい。
著者
村越 行雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.A7-A35, 1992-03-20

"Reference and Definite Descriptions" (1966) の中でドネランによって主張された確定記述における指示的使用と属性的使用の区別という考えは, それ以前のストローソンの "On Referring" (1950) の批判を通して, リンスキーの "Reference and Referents" (1963) を手掛かりとしながら浮かび上がったものであるが, またそれはそれ以後のクリプキの "Speaker's Reference and Semantic Reference" (1977) とサールの "Referential and Attributive" (1979) において批判対象となったものでもある。その意味から言うと, ドネランの主張を中心に, 彼が批判対象としたストローソン, リンスキーの両主張そして彼を批判対象としたクリプキ, サールの両主張との比較検討を行なうことは, 単にドネランの主張のみならず, ストローソン, リンスキー, クリプキ, サールのそれぞれの主張をも明確にさせる結果となり, また各主張の比較を言語行為論的・語用論的視点から検討することにより, それぞれの主張における確定記述と話し手の指示の関係をより一層明確にさせ, 最終的にストローソン-リンスキー-ドネラン-クリプキ-サールの過程が話し手の指示に関する一つの歴史であることを浮き彫りにさせることにもつながるのである。
著者
石田 信一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.97-110, 2000-03-15

一九世紀を通じてダルマチアにおいて進展した国民統合過程との関連において、同時代のイタリアからの政治的・思想的影響、とりわけ統一国家形成をめざす運動、いわゆるリソルジメントが進展する中でのイタリア・ナショナリズムの影響について考察した。従来、クロアチア国民統合過程の視点からクロアチアとダルマチアの影響関係については多くの論考がなされてきたが、イタリアとの関係についての論考はなお不十分であり、本論はそうした事実に対する問題提起としての意味を持っている。一九世紀前半、ダルマチアの知識人の多くはイタリア系、スラヴ系を問わずイタリア諸邦で高等教育を受け、イタリア語を日常的に用いており、イタリアから最新の思想的潮流を学んでいた。オーストリアの強権的支配に抗議する意味で、彼らの中にはカルボネリアや「青年イタリア」を通じて提起されつつあったイタリア・ナショナリズムに傾倒する者もあった。しかし、多くの場合、彼らはリソルジメントを全面的に支持したわけではなかったし、ダルマチアを将来のイタリア統一国家の一部とは考えていなかった。一八四八年革命に際して、自治体レベルでも個人レベルでもヴェネツィアを支持する文書がほとんど残されていないことは、その証左である。イタリア人と南スラヴ人は反オーストリア的立場で共闘する側面を持ち、領土的要求を含む「民族」的対立は顕在化していなかったが、ダルマチアの知識人、とくにスラヴ系知識人はリソルジメントの中からむしろ自らの南スラヴ人としての国民形成・国民統合を実現する手法を学んでいったのである。
著者
山崎 一穎
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.53-83, 1995-03-15

大正十三年 (一九二四) 九月五日、松本女子師範学校附属小学校 (現信州大学教育学部附属松本小学校) では、川井清一郎訓導 (現在の教諭) が森鴎外の『護持院ケ原の敵討』を教材にして、四年生の「修身」の授業を行っていた。川井訓導は「児童に与えられる教材は、一面には彼らの心意の発達、特に道徳意識の発達に応ずるものであるとともに……感動あるものでなければならぬ」(「信濃教育」<大正13年10月> 掲載の『修身の取扱ひについて』)と考え、「現行修身書に応じ、これを生かさんが為めの一案」(同) として補助教材を使用した。折からこの授業を参観した文部省視学委員樋口長市東京高師教授や県の教育行政担当者一行が、国定教科書を使用しないのは国法違犯であるという理由で、生徒の面前で川井訓導を詰問し、後の講評の席で批難攻撃してやまなかった。若き教師川井氏は休職処分となり、遂に退職せざるをえなくなる。これが教育史上 <川井訓導事件> と呼ばれているものである。この事件は国の文教政策としての「教育の新主義」の弾圧に呼応して、大正中期以降の信濃教育界に漲る信州白樺派の自由主義教育を県当局は <気分教育> と決めつけ排除に動き、視学委員の視察を要請した。最初から意図を持った視察の見せしめとして、川井訓導は処分される。信濃教育会は <師道の擁護と教権の確立> のために戦っていく。川井訓導を休職、退職に追い込んでいくジャーナリズムの動向が、従来無視されて来た。本稿ではここに重点を置いて <川井訓導事件> を追求する。さらに、この事件の波紋を森鴎外に焦点を当てて見ると、何が見えてくるのか。この新視点から分析してみたのが本稿である。中世文学者、国語教育学者の西尾実氏に、何故森鴎外の作品研究があるのか。京都帝大の哲学科を卒業して、信州の教育界に身を置いた唐木順三氏が、『鴎外の精神』を執筆する土壌は奈辺にあるのか。信濃教育界に於ける森鴎外の系譜を川井清一郎氏、西尾実氏、唐木順三氏と辿ったのが本論である。
著者
村越 行雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.27-68, 1998-03-15

様々な種類の発話の中には, 発話される文の字義どおりの意味によって理解されるものもあれば, その文の字義どおりの意味によっては理解できないものもある。後者には, 幾つもの種類の発話が含まれるが, その中の一つとして, いわゆる間接的言語行為と呼ばれる発話がある。今回検討するのは, その「間接的言語行為」(indirect speech acts) と呼ばれる発話で, 特に間接的依頼を直接の対象にする。具体的な例としては, 間接的依頼として使用される "Can you pass the salt?" (「あなたは, 塩を手渡すことができますか。」) などがある。そのような間接的言語行為の存在そのものを疑い, その存在を否定する意見が出されてきているが, 果たして間接的言語行為は存在しうるのか, その存在の可能性をどこまで主張できるのかという問題に取り組むのが今回の目的であるが, その取り組み方には複数の方法・方向があり, それら全てを扱うことは今回はできないので, 間接的言語行為の代表的な理論の一つである Searle の間接的言語行為理論を中心にして検討を加えていくことにする。Searle の理論を選ぶのは, その基を成す Austin とSearle の言語行為理論自体の可能性を探る上でも, 極めて重要だからである。そして, Searle 自身の間接的言語行為理論のみならず, あくまでも言語行為理論の枠内での間接的言語行為の可能性を探る意味で, その他の間接的言語行為の理論 (説, 主張など) も対象にするが, Searle→Morgan→Bach and Hamish (+Clark)という具合に, Searle の理論を修正・補強・発展させる方向を中心に検討する。そのような意味で, 残念ながら, 言語行為理論の枠外での間接的言語行為の理論 (説, 主張など) は, 必要な限り取り上げ, 必要な限り検討する程度で, 深く入ることはできない。なお, 検討の順序は, 「はじめに」, 「間接的言語行為の問題点」, 「Searle による間接的言語行為の定義」, 「Searle による慣習的に使用される文の例と推論過程」, 「間接的言語行為の分類に関する Searle の問題点」, 「慣習の捉え方」, 「二行為の遂行の可能性」, 「間接的言語行為における文の形態と発語内的力の関係」, 「最後に」となる。
著者
町田 榮
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.A37-A62, 1997-03-15

日本文学は、ヨーロッパ文学に接して近代化の緒につき、展開して来た。今さらに言うまでもなかろう。影響のもとにとか、依ってとかいい条、そこにはみずから求めてやまぬ積極性が働いていた。受容に懸命な力を尽くすのだった。西欧文学、思潮に依拠することで自身を養う。おのずと近、現代文学内に、制作のある系譜を形成しているものがある。ひとつでも、具体的な実態を、はるか彼方からたどり来たった道筋を明らかにしてみたい。「ハムレット」の場合である。外国文学を個別にみるとき、日本文学に着床、胚胎した多くの作品群のなかでウィリアム・シェイクスピアの「ハムレット」一作ほどに関心を集めたものはない。長期にわたって間断なく、広範囲に受容され続ける。ほかに比肩できる作品はあるまい。稀有な、しかも顕著な事例であろう。「ハムレット」を手にして百数十年間に、促がされて日本文学が生産した大量、多様の関連作品が証明している。当然ながら、時代とともに「ハムレット」に寄せる興味、接し方は推移する。さまざまな解釈をほどこして、新しいハムレットを創造する時期もあった。現在、登場人物たちに捧げる熱誠に昔日のおもかげはない。余儀なく風化もしよう。それは平静な常態を獲得したというべきか。いや、飽和の情態に達しているのかも知れぬ。かりに、筒井康隆氏の『乱調文学大辞典』(昭四七・一・二八刊 講談社) で「ハムレット」の項をひいてみると、最近では、実行力のある「強いハムレット」という解釈も有名になっている。「生きといたろか、死んでこましたろか、そいつが問題やねん。ワハハハ」と、いったところか。一見して奇矯、洒脱、磊落を装う訳を放っているようだ。が、必ずしも、機知と諧謔とを凝らす戯文を弄したものとも言えまい。氏が、ハムレット受容の変遷史を視点に持ち、さらに進行する過程に立っているからである。突きつめた生死択一に真向って、佇立のみしていた過去が、既成の日本ハムレット像が諷刺の対象だ。「ワハハハ」に、それを問題視せぬ現代も寓する。生死を思索せぬ、閑却した青春も「問題」となろう。種々の「解釈」を入れたハムレットの行く方に、その果てのハムレット破綻まで見通しているらしい。不気味である。私見では、この発言時来二十五年を経て、氏の予想はますます的中しているように思われる。かつて、青春が to be or not to be を、生死択一を迫られる大問題として、その前に身をさらしていた時代があった。島崎藤村は日本のハムレットたちとも言うべき、ハムレット群像を長編自伝『緑蔭叢書第貮篇 春』(明四一・一〇・一八刊) に描く。その末尾は、『あゝ、自分のやうなものでも、どうかして生きたい。』/斯う思つて、深いく溜息を吐いた。である。あの第三幕第一場の独白は、藤村自身の痛切な真情吐露にほかならない。いまだに蝉脱できぬ生死の問題を背負って、わずかな希求を重くつぶやく。ハムレット体現者のひとりであった。同じく漱石門下の人々も、生死に賭けて、哲学的な教養主義を形成していく。『文学界』同人は北村透谷を、漱石門下生は藤村操を喪っているからである。彼我、隔世の感を禁じえない。しかし、双方は断絶しているわけではない。徐々に推移して来た期間がさし渡している。いま、英文学者による専門的研究著書、論文を別にしても、「ハムレット」一作品にちなむ演劇、翻訳、小説、詩、歌謡、評論、随筆、引用例など数限りない。やがて <ハムレット上演史>、その主として明治期の発掘、研究に河竹登志夫氏の『日本のハムレット』(昭四七・一〇・三一刊南窓社) がある-、また <ハムレット翻訳史> が編まれるに違いない。これらを除いても、近、現代の作家は「ハムレット」に心酔し、傾倒し、反発し、触発され、解釈し、取材し、依拠し、何らかの類縁を結んで、幾多の制作を紡ぎ出している。すでに、創意豊かなとはいいがたい、また、単に「ハムレット」にことよせただけの著述も存在する。「ハムレット」は清新な摂取期、客観的に咀嚼した消化吸収期を送って、しゃぶり尽くされた残滓になってしまったかも知れない。試みに、三区分してみる。明治期における <ハムレットを自任する人々>、それを脱却して迎える大正から昭和前期の <「ハムレット」小説の開花> 期、以降の衰えた <「ハムレット」の解体、拡散> 期とでも称してみられよう。先年発表された堤春恵氏の「仮名手本ハムレット」がある。「ハムレット」の解体、拡散を体現し、一時期を代表する大部な傑作だ。この制作出現の意味を、日本の「ハムレット」文学史上に尋ねて、序説としてみたい。以降、管見に入った「ハムレット」関連の作品は、島村洋子氏の「ハム列島」(平七・一二『小説すばる』) である。
著者
山崎 一穎
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.一-一四, 1974-03-15
著者
藤田 経世
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.一一-一八, 1977-03-15
著者
梅宮 創造
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.53-77, 1994-03-15

本稿では、『ヘンリ・エズモンド』をどう読むか、という一点に的が絞られる。この作品は従来、歴史小説、家庭小説、心理小説など名札を付けられて、サッカレイの主要作品の一つに数えられて来た。それならサッカレイにとって歴史とは、家庭とは、また人間心理とは何か。この問題はどこかで押えておかねばならない。しかし論点が抽象に流れないように、まずサッカレイの実生活を凝視するところから始めたい。当時のサッカレイが、過去に寄せる関心と現実の日々の生活とをどんなふうに重ねあわせていたか、そのあたりを各種資料のなかに探りたい。とりわけ「ヘンリ・エズモンド」となると、作品制作の上で、あの物議をかもしたブルクフィールド夫人の一件がひときわ大きい。ここに家庭の歪みやら女性心理の屈折やらが透けて見えるのは論を俟たない。もちろん、作品の読み方は各自各様であって然るべきだが、それとは別に、読みの深浅という事実は厳然として残る。その点を疎かに考えるわけにはいかない。本稿の狙いとしては、作品の周辺事から攻めて作品の中枢部に迫る、ということになろうか。叙述のそこかしこに挿んだ指摘や引用は、一つにまとまって論を成すというよりも、それぞれが即ち作品の「読み」のあらわれと云えよう。
著者
山田 徹雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.172-150, 1982-03-15

帝制ドイツ建設期における国内市場の在り方をめぐる議論には, 二つの対立する見解-「統合」論と「地域分化」論-がみられる。国内市場形成の錠を握る鉄道建設の進展及びそれにともなう商品流通の深化は, なるほどドイツ経済の「統合」に促進的ではあったが, 地域間競争を排除するものではなかった。即ち, 長距離の幹線建設が地域的市場相互間の商品流通を促進し, 統一的な国内市場の形成に寄与したのに対し, ローカル線建設は工業生産の中心地を核に地域経済的循環を強化することすらあった。こうした脈絡のうちに帝制期フランケン地方の商品流通構造を確定すれば, 次のようになる。ニュールンベルクの工業生産と周辺地域の農業生産との間にみられる分業関係は, 同地方の再生産の基底をなしていた。しかし, 同地方は工業原料及び同製品の調達にあたり, 中部ドイツを始めとする国内のさまざまな地域と市場関係を結ぶ一方, 農産物の地域内自給率は相当高いにせよ, 南バイエルンの穀物生産との関係も無視できない。こうした流通構造は, フランケン地方に二種類の市場的な展望を開かせることになる。即ち, 同地方の農産物と中部ドイツの工業生産物の交換の可能性は, 前者の後者への市場的包摂を展望するものであり, またフランケン地方の工業製品と南バイエルンの農産物の交換は, 「バイエルン」市場をも展望しうる。にもかかわらず, 同地方は隣接地域の市場形成力が衝突し, 相殺しあうという緊張関係の為に, 地域内の分業関係が豊かに形成され, また逆に, 地域内分業の進展が隣接市場への包摂を阻止するという均衡状態にあった。その際, 流通の結節点であり, また地域的な生産拠点であるニュールンベルクの位置は, そこから放射線状に伸びる鉄道によって確固たるものとなっていた。
著者
岩本 憲司
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.129-139, 1983-03-15

『史記』太史公自序の一節は、津田左右吉によって、「前漢末に擬作補入せられたものではないか」と疑われている。ところで今『春秋繁露』兪序篇の一節をみると、問題の太史公自序の一節と、内容が極めてよく似ていて、両者の同時代性というものが考えられる。とすれば、兪序篇の一節の晩出性の立証と、太史公自序の一節の晩出性の立証とは、お互いに他を補完し合うという関係にあると言える。そこで、本稿では、まず「素王説」「五始説」というものに関連して、兪序篇の一節の方の晩出性を立証し、つづいて「"空言" と "行事"」というものに関連して、兪序篇の一節と太史公自序の一節との両者の晩出性を同時に立証する。そして、これらの立証と、さきの津田説とを考え合わせ、更に両者間の相互補完性というものを考慮すれば、『春秋繁露』兪序篇の一節は董仲舒のものではなく、また『史記』太史公自序の一節は司馬遷のものではなく、実は、両者はともに前漢末のものであるということが確定的となるのである。
著者
植田 恭代
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.73-93, 2002-03-15

『源氏物語』には多くの催馬楽がとりこまれることについては、すでに諸先学の指摘があり、論者じしんもかつて検討を試みたことがある。なかでも第三部の物語では催馬楽が巻名にもなっており、とりわけ浮舟の物語との関わりは深い。ここでは、この浮舟の物語と催馬楽「道の口」をとりあげて考察を試みる。『源氏物語』で、明らかに「道の口」がみられる部分は浮舟巻にあり、手習巻にもそうではないかと指摘されてきた部分がある。それらの叙述をいま一度たどり、検討し直してみれば、やはり、両巻の当該場面は催馬楽の詞章をふまえた描写であると確認される。歌謡としての「道の口」の詞章を、時代背景をも視野に入れつつたどりみるならば、それは遊女を謡ったものであると考えられる。その遊女性が浮舟の物語に掬いあげられているのではないか。浮舟の造型には遊女性が付与され、場面にもそれが及んでいるのではないかという試案を提示するのが、本稿の目的である。
著者
木下 高徳
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.A15-A32, 1996-03-15

文学作品の理想を氷山に譬え、海面上に浮上する八分の一だけを描いて他の八分の七は海面下 (行間) に沈めてしまうというように、究極まで言葉を削り、作品を磨いたヘミングウェイは、シンボリズムの手法にハードボイルドのスタイルを乗じた方法でこれを可能にした。The End of Something においては、たとえば、パーチ (小さな虹) を餌にして虹マス (大きな虹) を釣るという場面設定をしているが、これは主人公の男女が共に小さな希望を犠牲にして大きな希望を手に入れようとしている過程を描いていることになる。こういう視点で、この作品を裁断すると、これは、若い主人公であるニックが、<自分の人生を生きる価値あらしめるもの> との期待をもってマージョリーとの恋にすべてを賭けて打ち込んだのだが、恋は理想的な形で進展したにもかかわらず、いくつかの要因で醒めてしまい、恋が期待したものではないと覚って、絶望に陥る、という体験を描いている作品だということになる。