著者
浪本 澤一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-20, 1983-03-15

本稿は、わが国の南北朝時代に活動した臨済宗の高僧寂室元光 (一二九〇〜一三六七) の偈頌の中から二十四首を挙げて、その解説を試みたものである。坊間、寂室の偈頌を取上げたものは、日本古典文学大系の『五山文学集 江戸漢詩集』(山岸徳平校注) に六首を収載しているに過ぎない。寂室は、三十一歳のとき渡海入元し、杭州 (浙江省) 西天目山の中峰明本の禅に参じて尽大な感化を享けた。中峰は、定居なく草庵に住し船中に起臥し、標するに「幻住」を以てした。寂室は、中峰の道に参じたあと、南方中国の聖山禅匠を歴訪し、在元七年を経て帰国したが、京・鎌倉の大寺叢林に寄らず、中峰の家訓を体して林下の禅者としての道を貫徹した。世寿七十八歳、坐夏六十六年。世間の名利を超越したまことに純潔な高僧であった。愚のごとき門外の徒が何故寂室の禅道に関心を抱いたかに就いては多少の理由がある。芭蕉の名高い「幻住庵記」における「幻住」の根源は寂室の謁した中峰の「幻住」に発している。芭蕉は『奥の細道』の吟旅のあと幻住庵に寓止して、此処もまた仮りの宿り、「幻住」であるという生涯の観想を書き綴った。尤も芭蕉の遺語には寂室の名は見えないが、高足其角の手に成る「芭蕉翁終焉記」の文中「遺骨を湖上の月にてらす」の語には寂室の偈頌の薫染が感受されるのである。即ち、同門の支考が、寂室の「死在巌根骨也清」の一句を挙げてその傍証をしている。加うるに芭蕉をはじめ其角・嵐雪・丈草・支考等々、文人として禅法を修しており、蕉風の俳諧は禅法を除外しては理会しがたいものを内在している。愚が、仏心宗における禅とは何か、という問題とともに禅の公案を詩として表象した偈頌に就いて、年来関心を寄せてきたのは大凡以上のごとき理由に因る。もとより禅はただ机上の読書だけで片付くような生易しいものではない。然し乍ら、ありがたいことに禅には宗派心がない。古来禅は僧俗を問わず個の日常生活裡に原点を持っている。禅は中国の唐朝中期に広大な揚子江の流域において目覚ましい進展を遂げるが、その時代の古徳は、官人から禅とは何ぞやという質問を受けたとき、即座に「汝、日々の心」と答えたという。禅には宗派心がないし、隠している何ものもないのである。門は有つて門はないのである。宋の詩人蘇東坡は夜中に渓川の声を聞いて悟道したという。その詩偈に曰はく、「谿声便是広長舌。山色無非清浄心。夜来八万四千偈。他日如何挙似人」。

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