著者
町田 榮
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.A37-A62, 1997-03-15

日本文学は、ヨーロッパ文学に接して近代化の緒につき、展開して来た。今さらに言うまでもなかろう。影響のもとにとか、依ってとかいい条、そこにはみずから求めてやまぬ積極性が働いていた。受容に懸命な力を尽くすのだった。西欧文学、思潮に依拠することで自身を養う。おのずと近、現代文学内に、制作のある系譜を形成しているものがある。ひとつでも、具体的な実態を、はるか彼方からたどり来たった道筋を明らかにしてみたい。「ハムレット」の場合である。外国文学を個別にみるとき、日本文学に着床、胚胎した多くの作品群のなかでウィリアム・シェイクスピアの「ハムレット」一作ほどに関心を集めたものはない。長期にわたって間断なく、広範囲に受容され続ける。ほかに比肩できる作品はあるまい。稀有な、しかも顕著な事例であろう。「ハムレット」を手にして百数十年間に、促がされて日本文学が生産した大量、多様の関連作品が証明している。当然ながら、時代とともに「ハムレット」に寄せる興味、接し方は推移する。さまざまな解釈をほどこして、新しいハムレットを創造する時期もあった。現在、登場人物たちに捧げる熱誠に昔日のおもかげはない。余儀なく風化もしよう。それは平静な常態を獲得したというべきか。いや、飽和の情態に達しているのかも知れぬ。かりに、筒井康隆氏の『乱調文学大辞典』(昭四七・一・二八刊 講談社) で「ハムレット」の項をひいてみると、最近では、実行力のある「強いハムレット」という解釈も有名になっている。「生きといたろか、死んでこましたろか、そいつが問題やねん。ワハハハ」と、いったところか。一見して奇矯、洒脱、磊落を装う訳を放っているようだ。が、必ずしも、機知と諧謔とを凝らす戯文を弄したものとも言えまい。氏が、ハムレット受容の変遷史を視点に持ち、さらに進行する過程に立っているからである。突きつめた生死択一に真向って、佇立のみしていた過去が、既成の日本ハムレット像が諷刺の対象だ。「ワハハハ」に、それを問題視せぬ現代も寓する。生死を思索せぬ、閑却した青春も「問題」となろう。種々の「解釈」を入れたハムレットの行く方に、その果てのハムレット破綻まで見通しているらしい。不気味である。私見では、この発言時来二十五年を経て、氏の予想はますます的中しているように思われる。かつて、青春が to be or not to be を、生死択一を迫られる大問題として、その前に身をさらしていた時代があった。島崎藤村は日本のハムレットたちとも言うべき、ハムレット群像を長編自伝『緑蔭叢書第貮篇 春』(明四一・一〇・一八刊) に描く。その末尾は、『あゝ、自分のやうなものでも、どうかして生きたい。』/斯う思つて、深いく溜息を吐いた。である。あの第三幕第一場の独白は、藤村自身の痛切な真情吐露にほかならない。いまだに蝉脱できぬ生死の問題を背負って、わずかな希求を重くつぶやく。ハムレット体現者のひとりであった。同じく漱石門下の人々も、生死に賭けて、哲学的な教養主義を形成していく。『文学界』同人は北村透谷を、漱石門下生は藤村操を喪っているからである。彼我、隔世の感を禁じえない。しかし、双方は断絶しているわけではない。徐々に推移して来た期間がさし渡している。いま、英文学者による専門的研究著書、論文を別にしても、「ハムレット」一作品にちなむ演劇、翻訳、小説、詩、歌謡、評論、随筆、引用例など数限りない。やがて <ハムレット上演史>、その主として明治期の発掘、研究に河竹登志夫氏の『日本のハムレット』(昭四七・一〇・三一刊南窓社) がある-、また <ハムレット翻訳史> が編まれるに違いない。これらを除いても、近、現代の作家は「ハムレット」に心酔し、傾倒し、反発し、触発され、解釈し、取材し、依拠し、何らかの類縁を結んで、幾多の制作を紡ぎ出している。すでに、創意豊かなとはいいがたい、また、単に「ハムレット」にことよせただけの著述も存在する。「ハムレット」は清新な摂取期、客観的に咀嚼した消化吸収期を送って、しゃぶり尽くされた残滓になってしまったかも知れない。試みに、三区分してみる。明治期における <ハムレットを自任する人々>、それを脱却して迎える大正から昭和前期の <「ハムレット」小説の開花> 期、以降の衰えた <「ハムレット」の解体、拡散> 期とでも称してみられよう。先年発表された堤春恵氏の「仮名手本ハムレット」がある。「ハムレット」の解体、拡散を体現し、一時期を代表する大部な傑作だ。この制作出現の意味を、日本の「ハムレット」文学史上に尋ねて、序説としてみたい。以降、管見に入った「ハムレット」関連の作品は、島村洋子氏の「ハム列島」(平七・一二『小説すばる』) である。

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