- 著者
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湯浅 陽子
- 出版者
- 三重大学人文学部文化学科
- 雑誌
- 人文論叢 (ISSN:02897253)
- 巻号頁・発行日
- no.21, pp.71-85, 2004
宋代の詩風形成に大きな影響を与えた人物の一人と目される梅尭臣は、絵画鑑賞に関わる詩を多数残している。そのうち景祐二年から皇祐二年に制作された作品には、絵画における形と意・形と心の関係への言及がいくつも現れるが、描かれた人物の形と心を対比させる表現が六朝期以来のものであるのに比して、形と意を対比させる発想には唐代以降の絵画論との関わりが窺われる。またこの「意」の重視は歐陽脩によって梅堯臣の詩風と関わるものとして捉え直され、彼らの文学の特色として周囲人物による文学批評にも影響を与えている。その後皇祐三年に同進士出身の身分を得て太常博士となった後の梅尭臣は、都で洗練された美的感覚を持った友人たちと交遊し、公私蔵書画の閲覧に際して数多く長編の古詩を制作している。これらの詩の多くは前半部で主要な所蔵品の描画内容や保存状態や材質を詳しく説明し、後半部ではその他の所蔵品を具体的に列挙するという形式を採っており、一種の絵画鑑賞記録としての性格を持つと思われる。また梅尭臣らは公私蔵書画の参観に出かけるだけでなく、しばしば仲間うちの小宴で絵画を楽しんでおり、そのような場で梅尭臣が絵画鑑定家的な立場で制作したと思われる作品が皇祐年間から嘉祐年間にかけて盛んに制作されている。蔵画家たちは自己の所蔵品の価値を高めるべく、優れた絵画鑑賞眼を持つ高名な詩人による洗練された鑑定と題画詩とを求めたのではないだろうか。しかし梅尭臣が絵画鑑賞仲間との問で形と意等の問題意識を共有することは少なく、その結果、梅堯臣は初期に展開していた思考を継続して深めていくことができなかったようだ。従来文人の修養と結びつくイメージを持つ竹を描くことにおいても、梅堯臣は竹の持つ精神性に言及しておらず、墨竹に精神性を求める傾向は彼より後の世代に強くなっていくと考えられる。論説 / Article