著者
森 正人 Mori Masato
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.26, pp.147-159, 2009

本稿は1934年の建武中興六百年祭と35年の大楠公六百年祭が、資本や寺院や地方自治体の関わりによってどのように演出されたのか考える。そしてそれを契機にして楠木正成に関わる事物や景観や人物などがどのように価値付けられたり発見されたりしたのかも紹介する。そうした過程は地域という地理的単位と結びついて展開した。それゆえ、地域なるものと国家なるものが関係的に立ち現れることが最後に示される。
著者
菅 利恵 SUGA Rie
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.45-56, 2013-03-30

一八〇〇年前のドイツ語圏においては、ナポレオン戦争のために市民の政治的なアイデンティティ形成に転換期が訪れ、コスモポリタン的な啓蒙時代からナショナリズムの時代への移行が始まりつつあった。この過渡期にあって、シラーは時代状況をどのように見据え、これにどう取り組もうとしたのだろうか。本論文は、『オルレアンの処女』と時代状況との関わりを探りながらこれを明らかにするものである。まず、私的な愛の描写を手がかりに、この作品に描かれた世界とこれが書かれた当時の時代状況との関係性を示す。啓蒙時代の言説空間においては、私的な愛が政治的な戦いの後楯として機能した。しかし『オルレアンの処女』では愛のそうした機能が失われ、政治的な情熱が「人間的なもの」として発露するための一つの重要な契機が失われている。そのような作品の構造は、コスモポリタニズムとナポレオン戦争のはざまで、戦うための理念を手にすることができない時代状況をすくいとっていると考えられる。次に、『オルレアンの処女』の筋書きを検討し、作者がこの作品世界を通して上述の時代状況にどのような省察を加えたのかを探る。この作品では、政治的な戦いが理念的な後楯を持たない状況が作り出された上で、「神との約束」というかたちで戦うための理念が人間社会の外から与えられている。そして筋の展開を通して、この理念を人間の社会に取り込むことの不可能性が浮き彫りにされている。さらに、主人公ジャンヌが神の後楯を失ってなお戦い続ける姿に、そのような不可能性を抱えたまま侵略への自らの怒りに向き合うしかない、という作者の現状認識を読み取ることができる。政治的な自己主張が必要な危機の時代にあるにもかかわらず、そのような自己主張の拠り所が決定的に失われているという現実を認識した上で、それでも可能な自己主張のかたちを模索する作者のあり方が、この作品には明らかにされている。
著者
菅 利恵 Suga Rie
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.31-45, 2016-03-31

18世紀のドイツ語圏において、愛国的な言説が強化されたのはプロイセンがヨーロッパ諸国と戦った七年戦争(1756-1763)がきっかけであったとされる。それから約30年前後、つまりナポレオン戦争とともに国民意識が明確に形を結び始めるまでの過渡的な期間は、おもに通俗哲学や文学を媒体に、新しい愛国の観念を意識化し言語化する試みが徐々に活発化した時代であった。従来の研究において、この時期の愛国の言説に対しては「自由主義的で非政治的」という評価が再三下されている。本稿はそのような評価を再検討しつつ、当時のパトリオティズムの特徴を明らかにしようとするものである。啓蒙時代の愛国をめぐる言説の政治性を確認しながら、自由主義的なものがどのようにあらわれていたのかを示し、さらに、そこに潜んでいた問題性について考察する。まず、18世紀後半の愛国的な言説の基盤を見るために、雑誌や各種の協会活動を母体とする当時の市民的な公共圏の発展に注目し、そこに展開した言説の政治的な意義を押さえる。その上で、過渡的なパトリオティズムを代表するものとして、トマス・アプトの愛国的論説と、ゲッティンゲンに活動拠点を置く文芸サークル「ゲッティンゲン・ハイン同盟」で紡がれた愛国的な詩、またC.F.D.シューバルトやヘルダーの愛国的な言説に光を当てる。それらの言説が、さまざまな形で「自由」への希求を表現していたことを具体的に見た上で、それらに表現された「自由」の観念に潜む問題性を明らかにする。
著者
尾西 康充 Onishi Yasumitsu
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.27, pp.1-13, 2010

裏表紙からのページ付け
著者
武笠 俊一 ムカサ シュンイチ MUKASA Shunichi
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.51a-57a, 2001-03-25

童謡は無名の子どもたちによって長い期間をかけて作られたものである。多くの子どもたちの関わったものだから,そこには大人の思いもよらない深い意味や謎が込められたものが少なくはない。そうした歌の中には,卑狸な意味や大人たちへのあてこすり,深淵な謎かけが込められたものもある。本稿では,子どもの遊びが必ずしも子どもらしい純真な内容をもっとは限らないという前提にたって,こうした謎の分析を試みた。その結果得られた結論は,次のようなものである。上野動物園のお猿の電車を歌った歌の歌詞はたわいないもののようだが,実は「イケナイ絵」についてのお絵かき歌だった。また,「タン,タン,タヌキの…」で始まる替え歌には「たぬきの金時計」という歌詞の別バージョンあったが,それはタヌキというあだ名をもった教員を椰楡したものであった。日本人なら知らない者のいない童謡「通りゃんせ」は,天神様に札を納めにいった母親が神社から帰ることができないという恐ろしい謎かけを含む問答歌であった。
著者
太田 伸広
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.29, pp.39-65, 2012

人間の動物への変身は『日本の昔ばなし』では神罰や罰、感情の昇華としての変身であり、人間に戻らないが、グリム童話では魔法や呪いなど異界がらみの変身であり、基本的に人間に戻る。前者は神罰などがあるにもかかわらず宗教的でないが、後者は神様が登場しないのに宗教的である。動物の人間への変身は『日本の昔ばなし』ではありふれており、本当の動物が本当の人間になり、また動物に変身したりするが、グリム童話では本当の動物が人間に変身する話は1話しかない。『日本の昔ばなし』は動物を人間として迎え入れ、子供ももうけるが、グリム童話にはそんな話は1話もない。前者は動物と人間を隔てる壁は低く、動物へのまなざしは暖かく優しいが、後者は動物への視線は蔑みである。前者は輪廻転生、後者はキリスト教の思想(動物を支配すべく人間を神が創造)の影響があろう。また『日本の昔ばなし』には人間や動物さえ神さまになる話もあるが、グリム童話にはない。ここにも一切衆生悉有仏性という仏教思想と神を頂点とする世界秩序を宗教原理とするキリスト教の違いも反映されているであろう。
著者
武笠 俊一 MUKASA Shunichi
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.11-26, 2011-03-30

古事記崇神条にある大物主大神と生玉依姫の神婚譚は「三輪山型神話」の一つとして知られている。これは「針と糸」によって若者の正体を探った神話であるが、古事記はこの神話によってオオタタネコが神の子の子孫であることを説明したことになる。その証明は「説話的論理」によってなされていた。すなわち、「針が刺された」という記述は、神の衣に糸目の呪紋が付けられたことを意味し、この記述は二人が正式な結婚をしていたことを示唆していた。そして「麻糸が三輪だけ残った」ことは、ヒメの住む村が三輪山からはるか遠くにあったことを示していた。つまり、神は遠路を厭わず河内の国のイクタマヨリヒメの元に通われたことになる。この神婚神話は、三輪山の神が奈良盆地のあまたの女性たちではなく、河内の国の娘をもっとも深く愛したことを示し、それによってオオタタネコの一族が三輪山の神の祭祀権を持つ正統性を「説話的論理」によって証明しようとしたものである。ところが古事記の神婚諄には始祖説話と地名起源説話の相矛盾する二つの要素が混在している。「麻糸が三輪残った」という伝承は後者固有のものだから、この混乱は古事記編纂者による神話改作の事実を示唆している。さらに「三輪の糸」のエピソードからは、ヒメの住む村が高度な製糸織布技術を持つ地域であったことが推測される。もしそうなら、この神婚諄の舞台は、本来は土器生産の先進地であった河内南部ではなく奈良盆地南部の三輪山の麓の村であったことになる。つまり、三輪山の祭祀権だけでなく、この神話もまた河内の人々によって纂奪されていたのである。
著者
太田 伸広
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.39-65, 2012-03-30

人間の動物への変身は『日本の昔ばなし』では神罰や罰、感情の昇華としての変身であり、人間に戻らないが、グリム童話では魔法や呪いなど異界がらみの変身であり、基本的に人間に戻る。前者は神罰などがあるにもかかわらず宗教的でないが、後者は神様が登場しないのに宗教的である。動物の人間への変身は『日本の昔ばなし』ではありふれており、本当の動物が本当の人間になり、また動物に変身したりするが、グリム童話では本当の動物が人間に変身する話は1話しかない。『日本の昔ばなし』は動物を人間として迎え入れ、子供ももうけるが、グリム童話にはそんな話は1話もない。前者は動物と人間を隔てる壁は低く、動物へのまなざしは暖かく優しいが、後者は動物への視線は蔑みである。前者は輪廻転生、後者はキリスト教の思想(動物を支配すべく人間を神が創造)の影響があろう。また『日本の昔ばなし』には人間や動物さえ神さまになる話もあるが、グリム童話にはない。ここにも一切衆生悉有仏性という仏教思想と神を頂点とする世界秩序を宗教原理とするキリスト教の違いも反映されているであろう。
著者
鶴田 涼子 Tsuruta Ryoko
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 = Bulletin of the Faculty of Humanities and Social Sciences, Department of Humanities : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.36, pp.45-55, 2019

『子どもと家庭のためのメルヒェン集』Kinder- und Hausmärchen gesammelt durch die Brüder Grimmの「踊って擦り切れた靴」Die zertanzten Schuheは、『国際昔話話型カタログ分類と文献目録』のATU306番「踊って擦り切れた靴」(The Danced-out Shoes)に分類される。類話である『ハンガリー民話集』の「靴をはきつぶす王女たち」と『ハンガリーの伝説』の「12人の踊り姫」との比較を行うことで、グリム・メルヒェン「踊って擦り切れた靴」に描かれていない、もしくは伝承される間に変化した物語の背景を知ることができる。姫たちが結ばれることを願う王子たちの過去については、『ハンガリーの伝説』を参考にすることにより、伝承過程で失われたであろう物語の空隙を埋めることが可能となる。また、「踊って擦り切れた靴」においては、タイトルが変更されたことで民話の解釈に新たな可能性が付与されたと考えることができる。
著者
塚本 明 Tsukamoto Akira
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.27, pp.15-34, 2010

「神仏分離」の歴史的前提として、近世の伊勢神宮門前町、宇治・山田における神と仏との関係を分析した。仏教を厳しく排除する原則を取る伊勢神宮であるが、その禁忌規定において僧侶自体を嫌忌する条文は少ない。近世前期には山伏ら寺院に属する者が御師として伊勢神宮の神札を諸国に配賦したり、神官が落髪する事例があった。神宮が「寺院御師」を非難したのは山伏らの活動が御師と競合するためで、仏教思想故のことではない。だが、寺院御師も神官の出家も、幕府や朝廷によって禁止された。宇治・山田の地では、寺檀制度に基づき多くの寺院が存在し、神宮領特有の葬送制度「速懸」の執行など、触穢体系の維持に不可欠な役割を果たしていた。近世の伊勢神宮領における仏教禁忌は、その理念や実態ではなく、外観が仏教的であることが問題視された。僧侶であっても「附髪」を着けて一時的に僧形を避ければ参宮も容認され、公卿勅使参向時に石塔や寺院を隠すことが行われたのはそのためである。諸国からの旅人も、西国巡礼に赴く者たちは、伊勢参宮後に装束を替えて精進を行い、一時的に仏教信仰の装いを取った。神と仏が区別されつつ併存していた江戸時代のあり方は、明治維新後の「神仏分離」では明確に否定された。神仏分離政策は、江戸時代の本来の神社勢力から出たものではなかった。裏表紙からのページ付け
著者
永谷 健
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 = Jinbun Ronso: Bulletin of the Faculty of Humanities, Law and Economics (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.47-59, 2023-03-31

近代日本において殖産興業を先導した経済エリートは、多様な公職に就任するとともに特徴的なハイカルチャーを生み出すなど、政治的・文化的に独特な存在感を示した。彼らがエリート的な地位を占めた過程には、二つの差異化が重要な意味を持つ。「実業」の模範者として自己を正当化する過程、そして、エリート文化の指標となる象徴財を獲得する過程である。前者は、封建的な賤商意識からの離脱を志向するものである。明治期半ばには、勉学(とりわけ「虚学」)や学校教育とは異なり、また、非道徳的な「虚業」とも異なる実地の民業が「実業」として正当化される。彼らはそうした思想的な趨勢に倣いながら、明治後期において新聞・雑誌で自らを道徳的な「実業家」として語った。また、後者は、明治初年に上流社会で流行した能楽や茶事を自己の地位にふさわしい文化的アイテムとして彼らが積極的に取り入れ、趣味のネットワークを形成した過程である。二つの差異化の過程は、勉学・学校教育の貶価や伝統文化への傾倒という点で、プレモダンへの志向という特徴を共に持つ。次世代の実業家も反知性主義や伝統主義を表明することが多く、そのことは昭和初期という社会の変革期に至って、再び経済エリートの社会的な立ち位置を複雑なものとした可能性がある。
著者
武笠 俊一 Mukasa Shunichi
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.26, pp.17-27, 2009

一九七七年に刊行された『口述の生活史 - 或る女の愛と呪いの日本近代』は、中野卓の最初の生活史研究である。この本において、中野は話者の主体性を最大限に尊重するという調査法を提示しその有効性を実例をもって示そうとした。中野の提唱した新しい調査法は、若手研究者の一都に強く支持され、その後の社会学における生活史研究の興隆のきっかけとなった。しかし、この方法を採用したからといって、ただちに優れた生活史研究が生み出されるという保証はない。では、良い生活史を生み出す話者の側の条件とはどのようなものか。インタビューにおける話者の主体性の尊重がなぜ優れた生活史の前提条件となるのか。本稿では、この二つの問題を『口述の生活史』の再検討によって明らかにしたい。中野卓がこの生活史の語り手と出会う四〇年前に、彼女は一通の長い手紙を書いている。それは、中野が聞き取った口述生活史の原型ともいうべき「自伝的な手紙」であった。しかし不思議なことに、話者の内海松代は幾度か行われたインタビューの中でこの手紙についてほとんど語っていない。どのような事情によってこの手紙は書かれたのか。その内容はどんなものだったのか - 語られなかった事実に注目することによって、この生活史に秘められた「話者の強い思い」が見えてくる。語られなかったことがらに対する徹底的な再検討という作業をすることによって、中野の調査法の意義が明らかになると思われる。
著者
藤本 久司 Fujimoto Hisashi
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.26, pp.161-174, 2009

三重大学生が主になり2005年から外国出身の子どものための学習サポートボランティアを継続している。ここでは2007年9月以降の2年間の経緯を記録し、日々の活動報告、サポートする側と子どもたちのアンケート回答などに現れた生の声を集約し分析する。そこには、サポートする側のスキルアップへの工夫や努力がみられるとともに、子どもの背景や学習の実態に対する理解と戸惑いか交錯する。また、変化しつつある外国人住民の状況、地域的な特徴、出身国による親子や家族の相違点なども読み取ることができる。
著者
菅 利恵 Suga Rie
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 = Bulletin of the Faculty of Humanities and Social Sciences,Department of Humanities (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.33, pp.31-45, 2016

18世紀のドイツ語圏において、愛国的な言説が強化されたのはプロイセンがヨーロッパ諸国と戦った七年戦争(1756-1763)がきっかけであったとされる。それから約30年前後、つまりナポレオン戦争とともに国民意識が明確に形を結び始めるまでの過渡的な期間は、おもに通俗哲学や文学を媒体に、新しい愛国の観念を意識化し言語化する試みが徐々に活発化した時代であった。従来の研究において、この時期の愛国の言説に対しては「自由主義的で非政治的」という評価が再三下されている。本稿はそのような評価を再検討しつつ、当時のパトリオティズムの特徴を明らかにしようとするものである。啓蒙時代の愛国をめぐる言説の政治性を確認しながら、自由主義的なものがどのようにあらわれていたのかを示し、さらに、そこに潜んでいた問題性について考察する。まず、18世紀後半の愛国的な言説の基盤を見るために、雑誌や各種の協会活動を母体とする当時の市民的な公共圏の発展に注目し、そこに展開した言説の政治的な意義を押さえる。その上で、過渡的なパトリオティズムを代表するものとして、トマス・アプトの愛国的論説と、ゲッティンゲンに活動拠点を置く文芸サークル「ゲッティンゲン・ハイン同盟」で紡がれた愛国的な詩、またC.F.D.シューバルトやヘルダーの愛国的な言説に光を当てる。それらの言説が、さまざまな形で「自由」への希求を表現していたことを具体的に見た上で、それらに表現された「自由」の観念に潜む問題性を明らかにする。
著者
早野 香代 Hayano Kayo
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 = Jinbun Ronso: Bulletin of the Faculty of Humanities, Law and Economics (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.67-81, 2019-03-31

近年、大学教育でも行われているアクティブラーニングにおいて、「活動に焦点を合わせた指導」が問題視されるようになった。本稿では、その対策となる内容重視のディープ・アクティブラーニングの実践を報告し、能動性や学習の深化の観点から考察する。実施した科目は、「日本語コミュニケーションA(前期)/B(後期)」という留学生と日本人学生の協働学習である。2016年前期は学習の深化に繋がる可能性を期待し、グループ・インベスティゲイション(学生の興味関心に応じてグループを作り、自分たちで選んだテーマについて深く掘り下げる研究)を、2017年前期にはジグソー法(学生一人一人が責任感を持ち、グループのメンバーと教え会う学習)を試み、2017年後期は両者の利点を生かした折衷法を試みた。2016年前期のインベスティゲイションは、学生らの興味・関心のある内容を重視できたが、教室環境などで課題が残った。2017年前期のジグソー法は、資料を選択できるようにし、全員が教える立場に立つことで学習の深化は見られたが、日本語習得が進んでいない学生には負担となった。2017年後期のジグソー法とグループ・インベスティゲイションの折衷法では、独自の発展的な研究・調査を追加したために、高次の思考に関わる学習の深化が見られた。これは、内容を重視した他に、知識(内容)の獲得のために個々の学生の責任が曖昧にならないAL活動を選び、内化と外化が形を変えながら繰り返し行われるよう、複数の活動を組み合わせ実施していった効果や、仲間との信頼関係を構築しやすい教室環境に改善した効果もある。ディープ・アクティブラーニングには、重視した内容、内化と外化を繰り返せる複数の組み合わせによるAL活動、仲間と構築する信頼関係の3点が重要であることが分かった。今後は、内的活動における能動性の観察・分析方法や授業時間外のグループ学習の方法が課題である。
著者
小川 眞里子
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.147-162, 2012-03-30

欧州連合(EU)の女性研究者政策は、2000年に出版された『ETANレポート』と『Helsinkiレポート』から本格化し、10年余が経過した。この間の組織上の大きな変化は、2004年から加盟国が15から25カ国になったことである。旧共産圏で比較的男女の格差が少ない新参加国と従来の15カ国とでは、女性研究者を取り巻く環境に大きな違いがあって一律の評価は難しい。最初の2つのレポートは欧州の政策の2方向を象徴するもので、一方で雇用や研究助成金の平等性と人事や査読過程の透明性が求められてきたし、他方で徹底した性別統計の集積による現状分析が追求されてきた。『ETANレポート』の継承発展はMappingthemazeやThegenderchallengeinresearchfundingで行われ、『Helsinkiレポート』の後継報告書は、Benchmarkingpolicymeasuresforgenderequalityinscienceであり、数値に特化したデータ集SheFiguresもユニークだ。産業界で活躍する女性研究者(WIR)の現状を把握し、民間部門での女性の活躍拡大に向けた政策展開も注目される。さらなる注目は、25カ国体制移行にともないETANに呼応して旧共産圏の国々でENWISEが結成されたことである。10年の政策を振り返って、Stocktaking10yearsof・WomeninScience・policybytheEC1999-2009(2010)が出版され、めざすべきはEU全体でジェンダーの構造的変化を起こすことであるとしている。
著者
平石 典子
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.18, pp.33-50, 2001

明治後期の日本において,「女学生」は「女子学生」という字義上の意味以上のものを人々に訴えかける存在であった。本論では,高等女学校の成立過程,女学生を主人公にした文学作品の分析などを通して,「女学生神話」がどのようにして成立していったのかを追っている。明治初期の女学生は,ネガティブにとらえられることが多かったが,明治三十年代に入ると,良妻賢母主義に女子教育の照準が定まったことも手伝って,高等女学校は乱立の時代を迎える。その結果,彼女たちは都市における西洋風の美の代名詞のように扱われることとなる。しかし,その一方で,「西洋風」の「恋愛」への憧れと無用心な下宿環境は,彼女たちが「性的に奔放」だというレッテルを貼る。この仮説は,新聞小説やスキャンダル記事によって強化され,「西洋的な美しさを持ち,積極的で性的にも奔放」な存在としての「女学生神話」が確立するのである。
著者
稲葉 瑛志 Inaba Eiji
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 = Jinbun Ronso: Bulletin of the Faculty of Humanities, Law and Economics (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.1-13, 2022-03-31

本論は、20世紀ドイツの作家・思想家エルンスト・ユンガーの初期思想を、ヴァイマル共和国の「危機」に対する応答として明らかにする試みである。歴史学者デートレフ・ポイカートは「古典的近代」の病理論のなかで、過度な近代化のもたらした光と闇を鮮やかに描き出した。しかしその議論においては、経済危機という実体があまりにも重視されることによって、この時代の経験的次元における「危機」の複雑性が単純化されてしまったのである。本論は、「危機」概念の3つの意味内容を検討し、そこに従来見落とされてきた「危機」の「ユートピアの精神」を分析の中心に据え、ユンガーの初期作品を読み直すことを試みた。とりわけユンガーの歴史観、思考法、構想について考察し、黙示録的歴史観、「好機としての失敗」の思考法、「技術の完成」の秩序構想を抽出した。