著者
森 正人 Mori Masato
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.26, pp.147-159, 2009

本稿は1934年の建武中興六百年祭と35年の大楠公六百年祭が、資本や寺院や地方自治体の関わりによってどのように演出されたのか考える。そしてそれを契機にして楠木正成に関わる事物や景観や人物などがどのように価値付けられたり発見されたりしたのかも紹介する。そうした過程は地域という地理的単位と結びついて展開した。それゆえ、地域なるものと国家なるものが関係的に立ち現れることが最後に示される。
著者
尾西 康充 Onishi Yasumitsu
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.27, pp.1-13, 2010

裏表紙からのページ付け
著者
太田 伸広
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.29, pp.39-65, 2012

人間の動物への変身は『日本の昔ばなし』では神罰や罰、感情の昇華としての変身であり、人間に戻らないが、グリム童話では魔法や呪いなど異界がらみの変身であり、基本的に人間に戻る。前者は神罰などがあるにもかかわらず宗教的でないが、後者は神様が登場しないのに宗教的である。動物の人間への変身は『日本の昔ばなし』ではありふれており、本当の動物が本当の人間になり、また動物に変身したりするが、グリム童話では本当の動物が人間に変身する話は1話しかない。『日本の昔ばなし』は動物を人間として迎え入れ、子供ももうけるが、グリム童話にはそんな話は1話もない。前者は動物と人間を隔てる壁は低く、動物へのまなざしは暖かく優しいが、後者は動物への視線は蔑みである。前者は輪廻転生、後者はキリスト教の思想(動物を支配すべく人間を神が創造)の影響があろう。また『日本の昔ばなし』には人間や動物さえ神さまになる話もあるが、グリム童話にはない。ここにも一切衆生悉有仏性という仏教思想と神を頂点とする世界秩序を宗教原理とするキリスト教の違いも反映されているであろう。
著者
塚本 明 Tsukamoto Akira
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.27, pp.15-34, 2010

「神仏分離」の歴史的前提として、近世の伊勢神宮門前町、宇治・山田における神と仏との関係を分析した。仏教を厳しく排除する原則を取る伊勢神宮であるが、その禁忌規定において僧侶自体を嫌忌する条文は少ない。近世前期には山伏ら寺院に属する者が御師として伊勢神宮の神札を諸国に配賦したり、神官が落髪する事例があった。神宮が「寺院御師」を非難したのは山伏らの活動が御師と競合するためで、仏教思想故のことではない。だが、寺院御師も神官の出家も、幕府や朝廷によって禁止された。宇治・山田の地では、寺檀制度に基づき多くの寺院が存在し、神宮領特有の葬送制度「速懸」の執行など、触穢体系の維持に不可欠な役割を果たしていた。近世の伊勢神宮領における仏教禁忌は、その理念や実態ではなく、外観が仏教的であることが問題視された。僧侶であっても「附髪」を着けて一時的に僧形を避ければ参宮も容認され、公卿勅使参向時に石塔や寺院を隠すことが行われたのはそのためである。諸国からの旅人も、西国巡礼に赴く者たちは、伊勢参宮後に装束を替えて精進を行い、一時的に仏教信仰の装いを取った。神と仏が区別されつつ併存していた江戸時代のあり方は、明治維新後の「神仏分離」では明確に否定された。神仏分離政策は、江戸時代の本来の神社勢力から出たものではなかった。裏表紙からのページ付け
著者
武笠 俊一 Mukasa Shunichi
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.26, pp.17-27, 2009

一九七七年に刊行された『口述の生活史 - 或る女の愛と呪いの日本近代』は、中野卓の最初の生活史研究である。この本において、中野は話者の主体性を最大限に尊重するという調査法を提示しその有効性を実例をもって示そうとした。中野の提唱した新しい調査法は、若手研究者の一都に強く支持され、その後の社会学における生活史研究の興隆のきっかけとなった。しかし、この方法を採用したからといって、ただちに優れた生活史研究が生み出されるという保証はない。では、良い生活史を生み出す話者の側の条件とはどのようなものか。インタビューにおける話者の主体性の尊重がなぜ優れた生活史の前提条件となるのか。本稿では、この二つの問題を『口述の生活史』の再検討によって明らかにしたい。中野卓がこの生活史の語り手と出会う四〇年前に、彼女は一通の長い手紙を書いている。それは、中野が聞き取った口述生活史の原型ともいうべき「自伝的な手紙」であった。しかし不思議なことに、話者の内海松代は幾度か行われたインタビューの中でこの手紙についてほとんど語っていない。どのような事情によってこの手紙は書かれたのか。その内容はどんなものだったのか - 語られなかった事実に注目することによって、この生活史に秘められた「話者の強い思い」が見えてくる。語られなかったことがらに対する徹底的な再検討という作業をすることによって、中野の調査法の意義が明らかになると思われる。
著者
藤本 久司 Fujimoto Hisashi
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.26, pp.161-174, 2009

三重大学生が主になり2005年から外国出身の子どものための学習サポートボランティアを継続している。ここでは2007年9月以降の2年間の経緯を記録し、日々の活動報告、サポートする側と子どもたちのアンケート回答などに現れた生の声を集約し分析する。そこには、サポートする側のスキルアップへの工夫や努力がみられるとともに、子どもの背景や学習の実態に対する理解と戸惑いか交錯する。また、変化しつつある外国人住民の状況、地域的な特徴、出身国による親子や家族の相違点なども読み取ることができる。
著者
平石 典子
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.18, pp.33-50, 2001

明治後期の日本において,「女学生」は「女子学生」という字義上の意味以上のものを人々に訴えかける存在であった。本論では,高等女学校の成立過程,女学生を主人公にした文学作品の分析などを通して,「女学生神話」がどのようにして成立していったのかを追っている。明治初期の女学生は,ネガティブにとらえられることが多かったが,明治三十年代に入ると,良妻賢母主義に女子教育の照準が定まったことも手伝って,高等女学校は乱立の時代を迎える。その結果,彼女たちは都市における西洋風の美の代名詞のように扱われることとなる。しかし,その一方で,「西洋風」の「恋愛」への憧れと無用心な下宿環境は,彼女たちが「性的に奔放」だというレッテルを貼る。この仮説は,新聞小説やスキャンダル記事によって強化され,「西洋的な美しさを持ち,積極的で性的にも奔放」な存在としての「女学生神話」が確立するのである。
著者
山岡 悦郎 YAMAOKA Etsuro
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.30, pp.107-122, 2013

慶応2年1月の薩長盟約における龍馬周旋説と龍馬立役者説は共に、それに対する対抗仮説が成立しうる仮説であり、真偽不明の伝説である。しかしこれらの伝説についての考察は歴史学における幾つかの問題に改めて目を開かせてくれるという側面を持つ。
著者
森 正人
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.29, pp.45-55, 2012

本稿は一九〇五年に大阪毎日新聞社が開催した「西国三十三所順礼競争」に注目し、それが日本の近代化のプロセスに埋め込まれる様態を検討する。ここではギデンズの近代性の三つの側面、すなわち、時間と空間の切り離しと再編成、象徴的通標(貨幣)や専門化システムをとおした信頼に基づく社会関係の切り離し、思考や行為を吟味する再帰性が、順礼競争においてどのように現れていたのかを考える。競争という言葉が表すように、それは札所寺院間の空間的隔たりを交通機関を用いることで乗り越え、巡礼空間を圧縮し、それにより巡礼に要する時間を短縮しようとした。また、空間的に隔たった場所の地理的情報を、電信システムを用いながらできるだけ早く読者に発信したのである。順礼競争において巡礼の事物や行為の吟味も行なわれた。すなわち、慣習として巡礼に携帯してきた物品や衣装は取捨選択され、動きやすさを重視するために洋装も取り入れられた。情報伝達のための時間と空間を圧縮する近代的な装置の新聞社は、巡礼を宗教的な文脈からいったん切り離し、娯楽、観光、学問の文脈へと位置づけ直していった。とりわけ巡礼中に記される記事は、各地の地理的データの収集にも寄与した。その中で、巡礼空間の風景もまた、前近代的な風景観や身体感覚に根ざした宗教的な風景観とは異なり、風景を風景として対象化する近代的な風景観によって描写された。
著者
グットマン ティエリー GUTHMANN Thierry
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.30, pp.39-43, 2013

明治維新、フランス革命、いずれにおいてもかなりの血が流され、革命の前後という時期の差こそあれいずれにも恐怖政治が存在し、その後両革命はともに権威主義政治体制へと展開し、また日本もフランスも、新国民国家統一のために類似した様々な措置や政策を講じている。したがって、思われている以上に、明治維新とフランス革命の間には類似点が数多く存在している。ひるがえせば、日本人論思想において主張されているほど、「革命(維新)」という歴史的な分野の場合においても日本の独自性は認められないと思われる。Pendant la restauration de Meiji comme pendant la Révolution française une quantité nonnégligeable de sang a été versée; avant la restauration pour le Japon, aprés la Révolution pour laFrance, dans les deux cas un régime de terreur a sévi; les deux révolutions ont toutes deux aboutià la mise en place d'un régime autoritaire; enfin, la France comme le Japon ont pris un certainnombre de mesures et mis en place des politiques similaires afin d'assurer l'unité du nouvelEtat-nation. Aussi, dans une proportion plus large qu'on ne le pense généralement, existe-t-il ungrand nombre d'analogies entre la restauration de Meiji et la Révolution française. D'un autre pointde vue, et à l'opposé de ce qui est généralement affirmé dans les nihonjin-ron (ou «Discours sur lesJaponais») - dans ce domaine de l'histoire des révolutions également - il est difficile de souscrire àl'idée de l'exception japonaise.
著者
塚本 明
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.29, pp.13-29, 2012

近世の伊勢神宮直轄領に存在する被差別民について、その起源や役務、村内での位置、宇治・山田の被差別民との異同、周辺藩領の被差別民との関係等について考察を加えた。門前町の宇治・山田及び周辺農村は、宇治会合・三方会合が山田奉行の下で行政機能を持ち、神宮領としての実質はない。一方、地理的には離れる多気郡に、伊勢神宮が経済的基盤とする神宮直轄領たる五か村があり、住民らは神宮に年貢や諸役を負担し、また神宮特有の触穢観念も共有していた。これらの村々には、斃牛馬処理権を持つ「穢多」身分、村の警備役を担う非人番、竹製の簡素な楽器を用いて説教節を謡う雑種賤民「ささら」が存在した。彼らは身分に応じ、行き倒れ死体や死牛馬の片付け、神宮領特有の葬送儀礼「速懸」において最終的に埋葬する役を負うなど死穢を忌避する役割を持ち、同時に、周辺藩領の同一身分の者たちと領主関係を越えた身分集団を形成し、通婚や情報の共有、役負担などにおいて、密な関係を有した。ただし江戸時代後期には、斃牛馬処理権と役務負担、ささら身分を統括する三井寺近松寺の支配などを巡り、身分集団の頭支配から脱し、本村の意向に従っていく動きが見られる。参宮街道沿いに位置し賃稼ぎが盛んな当地では、農耕作の奉公人需要が高く、「穢多」身分の者が少なからぬ田畑を耕作していた。そしてそのことを、伊勢神宮も認識していた。文政六(一八二三)年に山田奉行が、「穢多」身分の者が納める年貢米の「穢れ」について神宮神官に問い合わせるが、神宮側は敢えてあいまいな形での収束を図る。総じて神宮領における被差別民は、生業や身分存在、役務などについて、周辺他藩領の被差別民と多くを共有し、差別の実態に関しても本質的な違いは認められない。
著者
太田 伸広 Ohta Nobuhiro
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.26, pp.41-73, 2009

一方的恋愛結婚は、柏手の意思を確認せず、一方的な恋愛感情で相手をもらう結婚である。一方的恋愛結婚の特徴の一つは、一方的に惚れ、結婚しようとする者は、社会的地位、身分が相手より上で、しかも男性だということである。もう一つは、一方的恋愛結婚は相手の意思、考え、感情などを無視した結婚であるにもかかわらず、実際にはそれが苦難、困窮、いじめ、迫害からの主人公の救済になっていることである。そしていじめたり、迫害した者は悲惨な罰を受けることが多い。次は、グリム童話と『日本の昔ばなし』の相違点である。前者では、家の干渉などまったくなく、惚れて結婚しようとする者が自分の思いをはっきりと打ち明けて結婚するが、後者では、一方的に惚れて結婚しようとするほどに積極的な気持ち、愛情があるのに、自らの思いを相手に打ち明けない話が半数近くもある。親任せ、家任せなのである。グリム童話では主人公はほとんど全員が外見の美しさに惚れるが、『日本の昔ばなし』では主人公の多くが内面の美しさに惚れる。
著者
谷井 俊仁
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.22, pp.1-16, 2005

本稿は、清乾隆朝において出版がもった社会的権威について検討する。当時の出版に権威性が付与されたのは、非営利的な自費出版が主流だったからである。すなわち著者は、自らの威信のために出版し、人々も書籍は著者の人的権威の反映として理解した。そのような観点からすれば、当時の一大事業である四庫全書の纂修には、過去の書籍・著者の権威を、乾隆帝自らが格付けするという意味合いがあったことが理解される。論説 / Article
著者
大河内 朋子 Okochi Tomoko
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.26, pp.29-39, 2009

「描写できないものの同義語」とされるアウシュヴィッツの描写可能性を巡る論争は今なお決着を見ていないが、その一方ですでに数多くの芸術的表現や歴史的ドキュメントか存在する。本稿では、戦後のドイツにおけるコミックメディア(外国コミックの翻訳を含む)がドイツ「第三帝国」(特にホロコースト)をどのように描いてきたかについて検討する。結論を言えば、ドイツ国外のコミック作品においては、たしかにナチス・ドイツは加害者として描かれているが、主たる関心は、ホロコーストに関わる「過去の記憶」の保持と、語ることによる「過去の記憶」の再生にある。読者は、過去を忘却から救い、過去を現在と未来へ繋ぐように要請される。それに対して、ドイツ人コミック作家はユダヤ人虐殺を周縁的なテーマとして扱う。 作品中のナチ党員も加害者として一方的に断罪されるわけではなく、むしろ「第三帝国」下のドイツ市民全体がナチズムと戦争の犠牲者として捉えられている。
著者
安食 和宏
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.18, pp.1-17, 2001

フィリピンでは,1960年代以降,マングローブ林の開発が急速に進展しており,それらの土地の多くは養殖池に転用されてきた。本稿は,(1)地元住民がどのようにマングローブを利用してきたのか,(2)養殖池建設によって住民生活にどのような影響が生じているのかを,具体的な村落調査に基づいて把握しようと試みたものである。対象地域は,ボホール島の南西部に位置するマリボホック町リンコッド集落である。26戸での聞き取り調査の結果,マングローブの中でも特にニッパヤシの葉を材料とするニッパ・シングル作りが,集落にとって重要な産業であること,またマングローブ地域は重要な漁場として機能していることが明らかとなった。しかし,1980年頃からマングローブ林地の一部は養殖池に転用されてきた。ニッパヤシ工芸の関係者や漁業従事者はこれを大きな脅威として受け止めているが,養殖池での賃労働に依存する住民も少なくない。すなわちマングローブ林の開発は,地元住民に対して不利益と利益を同時に与えている。住民の属性(職業など)や階層による違いに注目しながら,このような関連性をいかに見極めるか,評価するかが重要な課題となる。
著者
坂本 つや子 SAKAMOTO Tsuyako
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.28, pp.73-87, 2011

クリストファー・マーロウの戯曲、Doctor Faustusの主人公フォースタスについて、マーロウが資料として用いたThe English Faust Bookをもとに検討する。順序は次のとおりである:1ヴィッテンベルクで学位を取得したフォースタスが悪魔と契約を結ぶ経緯、2数回の大旅行(地獄と天界の旅、ローマ訪問、世界旅行の途上楽園を遠望する)について、3カロルス5世の宮廷訪間、4アンホルト公爵夫妻訪間、5トロイのヘレンについてのエピソード、6ワグナーを相続人に指名する、学者たちとの別れ、手記の発見。The English Faust Bookでは、フォースタスはルネサンス人として異教の文化を学び、神の領域に属する知識を手に入れるため、冒険的探求の旅に出る。彼は手記を残し、死後出版されるよう心を配る。Doctor Faustusでは、フォースタスは悪魔に魂を売ることで人間に隠されている知識を獲得するが、その知識は彼を解放せず、むしろ神が支配する世界の枠組みの堅牢さを認識させる結果となる。しかし彼が高く評価するギリシア、ラテン世界の思潮は、中世的世界の枠組みを壊す力を秘めている。