- 著者
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陸 暁光
- 出版者
- 神戸大学
- 雑誌
- 国際文化学研究 : 神戸大学国際文化学部紀要 (ISSN:13405217)
- 巻号頁・発行日
- vol.25, pp.107-130, 2006-01
日本で「超人気」と言われている村上春樹の「ノルウェイの森」は、90年代以来、中国でも「村上熱」というブームになっている。googleで調べると、同小説の標題は、中国のページで日本より数倍大きな「森」になっている。同小説が中国に対しても意味深い「森」であると見られる。なぜ中国でも「森」のブームになっているのか、その意味は何か。今まで中国学界ではいろいろな説が出ていたが、「性愛」と言う話題がほとんど避けられてきた。同小説が「100%の恋愛小説」とよく言われているように、「性愛」と言う話題につかなければ「森」に隠されている魅力と意味とは解明し難いのである。中国学校教育では性科学に関する知識が数十年来ほとんどゼロで、一番使われている中国語辞書にも性関係語彙は日本語辞書と比べて極少ない。同小説には性知識が多いし、しかも文学的な表現で現されている。青少年にとって性知識を紹介する教科書らしいものとも言えば、このブームの要因のひとつであろう。性愛と言うことは時代によってその観念とルールが変化しているらしい。特に消費時代において、これをどう考えべきか、どうあることが人間に相応しいのか、今の中国社会にも簡単な問題ではないようである。「森」にその新しい問題が率宜でしかも多岐にわたって議論されているから、特に中国の消費能力ある男性と女性との間で魅力がもたている原因があると思われるか。150年前のマルクスは「完全な人間」と言う言葉をよく使っていた。「森」には「不完全な人間」という言葉が偶然ではなく多箇所に見え、自殺した少女主人公の悲劇な運命を解明するキーワードとも言える(どこまで「不完全」か、なぜ「不完全」になったか)。マルクスが関心の対象としていた社会問題は性愛を主とするものではないが、「森」が主題としている問題は主に性愛である。してみれば、「森」は消費資本主義における新人間の難題を物語としていると言えよう。