- 著者
-
東 賢太朗
- 出版者
- 日本宗教学会
- 雑誌
- 宗教研究 (ISSN:03873293)
- 巻号頁・発行日
- vol.80, no.3, pp.573-594, 2006
本稿は、フィリピン・カピス州最大のカリスマ刷新運動Divine Mercyの事例から、宗教経験についての客観的評価と主観的リアリティの並存状況について考察する。Divine Mercyで行われる「癒し」の活動は、神への敬虔な祈りによって病が治癒するというものである。カトリック教義に則った「癒し」に対して、呪医による民間治療行為は誤ったものとされる。「憑依による啓示」の活動では、イエスやマリアなどの霊的存在がミディウムに憑依し、Divine Mercyや各メンバーに対しての啓示を行う。その活動はカトリック教会から否認されているが、メンバーはその奇跡を敬虔さへの報いであると説明する。自らの敬虔さを確保するため、あるときは呪医を非難することで自らの教義的な正統性を主張し、またあるときは教会から否認された異端性を引き受ける。そのような、正統であっても敬虔、異端であっても敬虔という状況に注目することから、単なる教義への追随ではない、絶え間なき主客認識の交渉過程が明らかになる。