- 著者
-
佐藤 智子
- 出版者
- 岩手県立大学
- 雑誌
- 総合政策 (ISSN:13446347)
- 巻号頁・発行日
- vol.7, no.1, pp.31-64, 2005-10-31
今から362年前の1643年6月10日、そして再度の7月28日、鎖国時代の日本であったが、1隻のオランダ船ブレスケンス号が、水と食料を求めて山田湾に姿を現した。記録によると、異国船の入港に地元の人々は驚愕を隠せなかったが、乗組員を温かくもてなした。この史実をもとに山田町は、1960年代にブレスケンス号の母港であるオーストブルフ市へ姉妹都市締結の打診をしたが、実現には至らなかった。その後オランダ王室私設顧問からクリステリック・カレッジ・ザイスト校を紹介され、1996年国際理解教育を目的にして同校へ最初の中学生を派遣した。ザイスト市表敬訪問も含むこのプログラムは継続して実施され、両市町の絆が強固になっていった。そして日蘭交流400周年記念の2000年に、山田町はザイスト市と念願の友好都市締結を果たした。提携から今年で5年が経過したことになるが、継続性をみている青少年派遣事業に焦点を当てて交流の内容を検証した。また何故1960年代に山田町が望んだ姉妹都市締結が実現しなかったのか、日蘭関係の歴史を紐解きながら考察した。