- 著者
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ミハイロバ ユリア
- 出版者
- 日本スラヴ・東欧学会
- 雑誌
- Japanese Slavic and East European studies (ISSN:03891186)
- 巻号頁・発行日
- vol.23, pp.1-32, 2003-05-31
この論文は、ロシア人の地理的意識、ナショナル・アイデンティティと、「他者」としての日本のイメージとの繋がりを取り上げる。そのため、露日戦争期と1930年代ロシア・ソ連の民衆向けの新聞や雑誌の記事、風刺画、民衆版画などを分析する。ロシア・ソ連人が持っていた日本についてのイメージは戦争の勝敗だけではなく、ロシア人の地理的意識における極東の位置も関わっていたことを論ずる。露日戦争期のプロパガンダは、戦争は土地の征服を狙う争いではなく、人種的な戦争であるということを主張した。日本人をさまざまに苛め、誹謗し、ロシアの勝利を予言した。けれども、普通の人々はこの戦争の目的が分からず、戦争が行われていた満州及び隣の沿海州等の地域も、ロシア人の地理的意識にまだ入っていなかったので、兵士は戦争に熱意を感じなかった。したがって、露日戦争期の対日プロパガンダは説得力を持たなかった。露日戦争におけるロシアの失敗は、ロシア社会にショックを与えたにもかかわらず、日本に対しては嫌悪観をかならずしももたらさなかったように思う。当時、ロシアの国民の怒りは日本よりも自国の指導者に向かい、新しいナショナル・アイデンティティへの探究に道を開いた。1930年代にソ連では急速な工業化による「東方への大移動期」がはじまった。国民の熱狂的な労働をもっと刺激するために、政府および共産党は、ソ連が四方を敵に囲まれている、その敵から母国を防衛しなければならないと愛国主義を懸命に宣伝するようになった。極東における日本との国境衝突は、敵対的日本のイメージの創造にとって好都合であった。ソ連的プロパガンダはロシア人の血にしみつき、かれらの労働によってまさに盛んになった極東地域を日本から守らなければならないと思い込まされた。国家の唱えた愛国主義が、あるレベルにおいて人々が持っている自国に対する愛国心と一致したので、その宣伝は日本のマイナスなイメージの構築に成功したのである。したがって敵としての日本についてのイメージは、ソ連国家のナショナル・アイデンティティの形成にかなり貢献したといえよう。