著者
大木 昭男
出版者
Japanese Society for Slavic and East European Studies
雑誌
Japanese Slavic and East European studies
巻号頁・発行日
vol.27, pp.83-101, 2007

ロシアの「母子像」と言えば、まず思い浮かべるのはイコンに描かれた「聖母子像」であろう。それは慈愛のシンボルであり、キリスト教的「救い」のイメージと結びついている。ロシア文学に描かれた代表的な母子像としては、ゴーリキイの長編『母』(1906-07)があり、これは社会主義革命のイメージと結びついている。本論文においては、ワレンチン・ラスプーチンの最新作『イワンの娘、イワンの母』(2003)に現れた母子像に注目して、その意味を考えてみた。1993年の「10月騒乱事件」後に書かれた短編『病院にて』(1995)のラストシーンに、修道僧ロマーンの作詞した『聖なるルーシが呼んでいる』という歌の次のような一節が引用されている。「ボン、ボン、ボーン--一体何処、君らロシアの息子たち ボン、ボン、ボーン--なぜに母をば忘れしか? ボン、ボン、ボーン--この響きに合わせ、行進の歩調で ボン、ボン、ボーン--死に歩みしは、君らでなかりしか?!」この歌詞の中の「ロシアの息子たち」と「母」が、中篇『イワンの娘、イワンの母』に21世紀の現代ロシアにおける新しい独特な文学的形象となって登場している。『イワンの娘、イワンの母』に描かれている時代は、ソ連崩壊後の現代、舞台はイルクーツクの町とその近郊。営林署に林務官として長年のあいだ働き、今は年金生活者としてイルクーツク近郊の集落で、菜園を営みながらつましく暮らしているイワン・サヴューリエヴィチ・ラッチコフと、その子供たちと孫たちの三世代にわたる物語であるが、小説のヒロインは、イワン・ラッチコフの長女タマーラ・イワーノヴナであり、彼女は16歳の娘スヴェートカと14歳の息子イワンの母である。「イワン」という極めてポピュラーなロシア人名を小説の題名に反復して使っていることからしても、新たな典型的ロシア人像を描き出そうとする作者の意図が感じられる。小説は5月末にスヴュートカの身にふりかかった災厄から始まり、母親タマーラ・イワーノヴナによる制裁的殺人、そして裁判を経てラーゲリから釈放されて彼女が帰還するまでの4年半の時間的幅をもって描かれている。ラスプーチンは1997年、『我が宣言』という文書を発表し、「ロシアの作家にとって、再びナロードのこだまとなるべき時節が到来した。痛みも、愛も、洞察力も、苦悩の中で刷新された人間も、未曾有の力をもって表現すべき時節が。我々は、我が国が以前には知らなかった諸々の法律の残忍な世界に押し込まれていることが判明した。数百年にわたって、文学は、良心、清廉、善良な心を教えてきた。これなしにはロシアはロシアではなく、文学は文学でない。」と述べ、今、文学に不可欠なものは、「充電池の要素としての意志強固な要素である。」として、「ナロードの意志」を体現する「意志強固な個性」を描くことをロシア人作家たちに呼びかけた。その創作実践のラスーチン自身による最新の成果として、『イワンの娘、イワンの母』は注目すべき作品である。

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こんな論文どうですか? ラスプーチン文学に現れた母子像(大木 昭男),2007 https://t.co/KvU1HFxJHx ロシアの「母子像」と言えば、まず思い浮かべるのはイコンに描かれた「聖母子像」であろう。それは慈愛のシンボルであり、キリス…
こんな論文どうですか? ラスプーチン文学に現れた母子像(大木 昭男),2007 https://t.co/KvU1HFOMJx ロシアの「母子像」と言えば、まず思い浮かべるのはイコンに描かれた「聖母子像」であろう。それは慈愛のシンボルであり、キリス…

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