- 著者
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笠谷 知美
- 出版者
- 日本スラヴ・東欧学会
- 雑誌
- Japanese Slavic and East European studies (ISSN:03891186)
- 巻号頁・発行日
- vol.27, pp.103-118, 2007-03-30
本論は、ビザンツ帝国の第一次イコノクラスム(726-787年)の諸問題を検討したロシア研究史の回顧であり、ロシア人研究者がこの問題をどのような視点から考察しているのかを通覧したものである。ロシアにおける本格的なイコノクラスム研究は19世紀後半から始まり、特に1940-1950年代にかけてイコノクラスムの社会経済的な要因(修道院の所領、教会の財産問題など)をめぐって研究者間でさまざまな議論が交わされた。研究史の流れは、主として6つに大別される。1)宗教・神学的観念から見たイコノクラスムの考察、2)史料学に基づいた考察、3)政治史から見た考察、4)経済的な要因をめぐる考察、5)政治的イデオロギーの問題としてのイコノクラスム、6)教会史・印章学からのアプローチなどである。特に注目されるのは、イコノクラスムの狙いが修道院の所領ではなく、教会の財宝や動産の没収を狙ったものであり、それらを強奪するためには聖職者のres sacrae (神聖さ、聖遺物)の剥奪が不可欠であったとするM.シュジューモフの学説である(「ビザンツにおけるイコノクラスムの諸問題」1948年)。この学説は、イコノクラスムが巨大な富を所有する修道院の世俗化を目指したものであったと見るM.レフチェンコやB.ゴリャーノフ、E.コスミンスキーらによる従来の「伝統的な」封建制度問題の考察に対立するものであり、後に彼の学説をめぐってさまざまな議論がたたかわされた(「シュジューモフ論争」)。また、イコノクラスムを専横支配的な教会や富裕な修道院に対立する反封建的民衆運動として捉え、宗教論争という名のもとに隠れていたビザンツ帝国における社会的な諸問題を明らかにしようとしたE.リープシッツの論考も注目される。1980年代に入ると、修道院や教会の政治的影響力に注目した3.ウダリツォーヴァの考察や、軍事的な危機に瀕していた8世紀のイコノクラスム時代に、皇帝の政治的イデオロギーが重要な役割を果たし、皇帝と国民との間に団結をもたらしていたとするE.リターヴリンの考察など、新たな視点からの研究が登場する。1990年代後半には、第二次イコノクラスム時代(815-843年)における聖像崇拝派のコンスタンティノープル総主教の抵抗運動について検討したД.アフィノゲーノフの研究やイコノクラスム時代に新しいタイプの印章が現れていることを指摘したE.ステパーノヴァの論考などがある。このように、革命以前のロシア・ビザンツ学では、イコノクラスムが宗教・神学的な問題として捉えられていたのに対し、ソ連時代のビザンティニストたちは、帝政ロシア時代におけるB.バシリエフスキーやФ.ウスペンスキーらを代表とする偉大な業績をマルクシズムの立場から見事に継承し、社会経済史問題の分野において数多くの研究成果を上げたと言える。また80年代には、欧米の研究が積極的に導入されたことから、さまざまな視点からイコノクラスムの諸問題を考察しようとする動きが見られ、近年においては社会、文化、宗教、美術史や考古学の分野からのアプローチが行われるようになった。以上のことからも、ロシア人研究者によって明らかにされたイコノクラスムの諸問題は、イコノクラスムの時代のみならず、8世紀のビザンツ史研究に大きな貢献をもたらすものと考えられる。