著者
萩原 孝恵 昭和女子大大学院
雑誌
昭和女子大学大学院言語教育・コミュニケーション研究
巻号頁・発行日
vol.2, pp.1-13, 2007-03-01

接続詞は、照応先が明らかでない場合、接続詞としての属性が薄れ、談話標識として機能するのではないかという見解がある。Maynard(1989)は、会話で観察された「だから」の36.62%がインタラクション上で動く「だから」の用法-いわゆる、因果関係を表さない「だから」の用法-であったと報告している。しかし、そもそも因果関係を表さない「だから」は存在しているのであろうか。本稿では、日常的なコミュニケーションで使用される「コンテクスト」を前提に、因果関係を表さないとされる「だから」の照応先の再検討と、その因果関係の有無を考察し、I.因果関係を表さないとされてきた「だから」にも照応先が見出されること、II.話し手が「だから」を選択したということは、先行するコンテクストの何か/どこかにリンクしているということ、III.談話標識として「だから」が機能している場合でも接続詞としての「だから」の意味は消えていないこと、を明らかにした。

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