著者
萩原 孝恵 萩原 孝恵 HAGIWARA Takae ハギワラ タカエ Hagiwara Takae
出版者
山梨県立大学
雑誌
山梨国際研究 山梨県立大学国際政策学部紀要 = Yamanashi glocal studies : bulletin of Faculty of Glocal Policy Management and Communications (ISSN:21874336)
巻号頁・発行日
no.10, pp.77-84, 2015

This study aims to investigate the working experience of a Thai employee in Japan. The interview was conducted after the interviewee's third-month working. Data are analyzed by the text mining. This paper focuses on two frequent words, shigoto (working) and dekiru (can), which have been extracted according to a part-of-speech. After presenting the collocation network of shigoto by the KH Coder, I point out the differences of work content values and work process values. I then examine the use distribution of dekiru (can) and dekinai (cannot). The result shows that the number of dekiru used in the utterances was fewer than that of dekinai; it reveals the presence of informant's consciousness regarding the ability possession.
著者
萩原 孝恵
出版者
山梨県立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2019-04-01

「舌打ち」や「笑い」は通言語的であるにもかかわらず、そこには社会的・文化的・慣習的な用法が存在する。本研究は、定延(2005)のいう「口の中の文化」に焦点を当てる研究である。本研究が着目するのは、非言語行動としてタブー視される「舌打ち」と、特におかしくもないところで笑う不可解な「笑い」である。研究対象は、“日本語文化と異なる”タイ人およびベトナム人の「舌打ち」と「笑い」である。定延(2005)を援用すると「口の中の異文化」が本研究課題となる。本研究は、誤解や摩擦の要因となり得る「舌打ち」や「笑い」に注目し、自文化の物差しでは測れない、他文化の非言語コミュニケーション行動を紐解いていく。
著者
萩原 孝恵
出版者
日本語教育方法研究会
雑誌
日本語教育方法研究会誌 (ISSN:18813968)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.6-7, 2006-03-18 (Released:2017-06-14)

The backchannel 'sodesu-ka' is considered a signal which functions to indicate one's understanding of information. This study examines how a hearer uses 'sodesu-ka' in actual conversations. The data used in this study is from the conversations of the intermediate level learners in KY corpus. The results of this investigation show that the form of 'sodesu-ka' appears with emotional expressions. This implies that 'sodesu-ka' as a backchannel has a function as a communicative strategy. It also has an active function as a procedural device in situations using languages.
著者
萩原 孝恵 昭和女子大大学院
雑誌
昭和女子大学大学院言語教育・コミュニケーション研究
巻号頁・発行日
vol.2, pp.1-13, 2007-03-01

接続詞は、照応先が明らかでない場合、接続詞としての属性が薄れ、談話標識として機能するのではないかという見解がある。Maynard(1989)は、会話で観察された「だから」の36.62%がインタラクション上で動く「だから」の用法-いわゆる、因果関係を表さない「だから」の用法-であったと報告している。しかし、そもそも因果関係を表さない「だから」は存在しているのであろうか。本稿では、日常的なコミュニケーションで使用される「コンテクスト」を前提に、因果関係を表さないとされる「だから」の照応先の再検討と、その因果関係の有無を考察し、I.因果関係を表さないとされてきた「だから」にも照応先が見出されること、II.話し手が「だから」を選択したということは、先行するコンテクストの何か/どこかにリンクしているということ、III.談話標識として「だから」が機能している場合でも接続詞としての「だから」の意味は消えていないこと、を明らかにした。