- 著者
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石月 静恵
- 出版者
- 桜花学園大学
- 雑誌
- 桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
- 巻号頁・発行日
- vol.4, pp.195-210, 2002-03-31
大阪朝日新聞女性記者恩田和子は,1917年に入社し,1948年に定年退職した。恩田は,1918年に大阪朝日新聞が開催した第1回婦人会関西連合大会の準備に奔走し,その後も大会の継続をはかった。1923年の第5回大会で全関西婦人連合会と改称し,1927年からは同会の理事長として女性運動を担った。恩田は,退職後も朝日新聞大阪本社社史編修室に嘱託として勤務し,大阪朝日新聞が女性問題をどのように捉えてきたのかを明らかにしようとした。その恩田が残した生原稿を最近筆者が発見した。それを基にして,大阪朝日新聞と女性問題の関連を今後調査し,ジャーナリズムとジェンダーの関わりを研究したい。本稿では,恩田史料のうち,明治期の大阪朝日新聞と女性問題に関わる部分を紹介する。