著者
日下 英之
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.177-194, 2002-03-31

江戸時代における将軍の上洛は,幕初と幕末に限られている.幕初においては,初代家康・2代秀忠・3代家光に限られ,幕末においては14代家茂のみである。慶喜は家茂の将軍後見職としての上京はあったが,15代将軍としての上洛はなかった。幕初3代の上洛については,「江戸初期における将軍の上洛」として発表したが,ここでは幕末における将軍上洛の状況を,将軍後見職としての慶喜の場合も含めて考察した。上洛路は陸路の場合,江戸を発って東海道を西上するのが一般的であるが,その道筋は尾張で幾つかに分岐する。七里の渡しを渡るか,佐屋路あるいは美濃路の陸路をとるか。幕末の上洛はそのいずれを通行したか。その通行に際して,沿道諸村はどう対応したか。本稿はこれらの問題について論述した。
著者
宮沢 厚雄
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.211-221, 2002-03-31

図書館は補助金と許認可で守られた公営の保護組織である。図書館の提供するサービスは,国民の「知る自由」「知る権利」を保障することが前提となり,そのために無料原則が存在する。しかしながら複写サービスやILLサービスなど図書館の一部ですでに有料サービスが定着しているものもある。ネットワーク情報資源の提供にさいしても,「図書館の自由」,費用構造,媒体変換,「市場の失敗」の観点から有償化が認知されている。しかしながら図書館の無料原則はあくまでも民主主義の政治体制を支えるものと考えなければならない以上,その貫徹は必要なのではないだろうか。さらには図書館の持つ提供機能と保存機能とを分離させて図書館の運営形態を多様化させ,改めて図書館理念の再考を求める必要がある。
著者
宮沢 厚雄
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.231-245, 1999-03-31

こんにちの図書館は技術的環境の高度化と社会的要請の多様化に直面している。そのために図書館サービスも一部では有償化されている。中小規模大学図書館の一事例をみても,第一にゼロックス=コピーやディスケットへのダウンロードのような媒体変換,第二に相互貸借や外部のコンピュータ=ネットワーク資源へのアクセスのような他館資料の利用時に,課金されている。さらに第三点として新たな著作権の設定がある。オンライン型資料は,複製や改変が容易であればこそ,ネットワーク上での無断流通や不正アクセスを防止していかねばならないからである。インターネットの時代にあっては,図書館資料の範囲をコンピュータ=ネットワーク資源にまで拡大解釈して利用は無償とし,利用者が望んで行なう媒体変換には課金する必要がある。そして図書館側で著作権使用料を負担する措置を経て,電子図書館サービスにおいても無料原則の確立が望まれる。
著者
宮沢 厚雄
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.169-178, 2001-03-31

図書館法は五十年ぶりに改正され,第17条の無料原則にも「解釈」が加えられた。すなわちネットワーク情報資源の提供など,高度・多様化した図書館サービスについての有償化が容認されたのである。その根拠には「費用構造」「市場の失敗」「所得再配分」「費用-便益分析」「外部経済性」という公共経済学の理論が適用されるとともに,国や地方自治体の財政逼迫にさいしても図書館サービスの無料供給の優先順位は低く見積もられた。しかしながら公共経済学の拠って立つところは市場経済であり,図書館サービスに公共性があるか否かを決定するものではない。図書館サービスの公共性は歴史的に培われた理念であり,むしろネットワーク情報資源の提供などを無料原則のもとで提供できるような環境整備を論議すべきものではないだろうか。
著者
斉藤 太郎
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.59-67, 2002-03-31

昭和戦前期政策として進められた「教学刷新」の動きは「知の再編」を目指したものといわれているが,日本教育史研究日本教育史認識の課題・方法においてはどのような「刷新」的意義を持ちえたのか,その検討のための予備的考察を示した。「教育刷新」側の資料,時間的にそれ以前に示された日本教育史側の資料を対比させることによって,後者の分野に関しては「教育刷新」の「刷新」的意義に問題の余地があることを示唆した。
著者
白石 晃一
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.83-98, 1999-03-31

教育の量的拡大をなしとげた国々での重大問題である「教育の質」についての論議(definition of quality of education)と教育の質の向上を目指す「質の教育」(quality education)の計画と実践を,1980年代後半から90年代前半にかけてのイギリスの幼年教育(3歳〜7,8歳児の教育)について検討した。そして,ナショナル・カリキュラム(1988年)が幼年教育に悪影響を与えるとの批判を受けたため,ランボルド報告(1990年)によって本来の幼年教育とナショナル・カリキュラムとの調整がはかられたことを明らかにした。ランボルド報告の示す児童観(児童中心主義)と教育内容論(cross-curricular approachesの推奨)は,ケアと教育の分離不可能を前提とし,遊びを重視するなど,教科教育重視の傾向にある小学校教育に反省を迫るものである。なお,ランボルド報告にもとづく問題解決学習の事例としてマンチェスター・グループの実践をとりあげ,イングランドにおける改革に先立つ論議と計画についてスコットランドのストラスクライド地域の例をとりあげた。
著者
石月 静恵
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.195-210, 2002-03-31

大阪朝日新聞女性記者恩田和子は,1917年に入社し,1948年に定年退職した。恩田は,1918年に大阪朝日新聞が開催した第1回婦人会関西連合大会の準備に奔走し,その後も大会の継続をはかった。1923年の第5回大会で全関西婦人連合会と改称し,1927年からは同会の理事長として女性運動を担った。恩田は,退職後も朝日新聞大阪本社社史編修室に嘱託として勤務し,大阪朝日新聞が女性問題をどのように捉えてきたのかを明らかにしようとした。その恩田が残した生原稿を最近筆者が発見した。それを基にして,大阪朝日新聞と女性問題の関連を今後調査し,ジャーナリズムとジェンダーの関わりを研究したい。本稿では,恩田史料のうち,明治期の大阪朝日新聞と女性問題に関わる部分を紹介する。
著者
西田 真樹
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.A25-A51, 2000-03-31

三河国渥美郡の田原藩と尾張藩とは、政治・経済・文化において多角的な交流があった。経済面では、尾張の経済力が新田開発や大名貸しや取引・出店において活動の場を田原に得ており、田原は産物の売り込み先の一つに尾張を据えていた。文化面では、尾張の高い技術が田原藩および藩主を満足させた。尾張の医者・大工・鍛冶・紺屋・黒鍬は、その技術にたいする田原からの信頼に十分に応えた。はるばる来演する芸人は田原領民に歓迎されていた。しかし、博打打ち・尾州浪人・小悪党は尾張からの頽廃文化の来襲であり、遊山客の享楽とともに、田原藩には迷惑このうえなかった。渡来する神も田原士庶の信仰心を満足させる反面、祭のもつ非日常性には藩は為政者として向き合わねばならなかった。政治面では、尾張藩主に礼をつくす機会に恵まれることもあったが、漁業権や司法権をめぐり、また海難救助に際し、藩役所・役人同士の接触がほとんどで、いずれにしても田原藩からの謙譲の配慮が提示された。田原藩にとって尾張藩は単なる大藩ではなく、「公儀」相当の特別な藩であった。
著者
山中 正樹
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.A41-A51, 1999-03-31

敗戦と相次ぐ知己の死去は、川端康成に大きな衝撃を与えた。それは川端文学に一貫して描き続けられたテーマをより根源的なものへと深化させることになる。そのため戦後の川端文学は、表面的には戦前のそれと大きく相貌を異にすることとなった。しかし<呪縛>と<解放>という観点から作品を眺めたとき、川端文学を通底する基本的な構造が浮かび上がってくる。本稿ではまず「古典回帰」といわれた戦後の川端の出発をふまえた上で、戦後作品にもつながっていく初期作品の特徴について考察した。
著者
斉藤 太郎
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
no.3, pp.29-40, 2000

本稿は「綜合郷土研究 香川県」(1939)所収の県民性論にかかわる記述をとりあげ,昭和戦前期郷土教育がその課題としていたとされてきた愛郷心(郷土愛)・愛国心の育成という問題を認識の面から検討しようとした。綜合郷土研究は国の郷土教育推進策の一環として進められたものであったが,それにもかかわらず,県民性にかかわる記述は,愛郷心,愛国心の問題に関する当事者の認識には,検討されるべき問題のあることを示すものであった。このことについて,調査項目となっていた「愛郷心」把握をめぐって検討した。
著者
菊池 章太
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.223-246, 2002-03-31

日本人が仏教信仰の根本的な聖典として用いてきた漢訳仏典の中には,インドや中央アジアではなく,中国において撰述された経典もかなり含まれている。これらは一般に「疑経」の名で呼ばれ,かつては,疑わしいもの,偽妄なものとして排除されてきた。このような見方は,中国であいついで作られた経典目録の判断基準にもとついているが,今日では疑経は,中国人による仏教の受容と変質のありかたを考えるうえで,また,庶民による仏教信仰の実態を知るうえで,欠かせない資料として,日本でも欧米でも盛んに研究が行われるようになった。これは道教経典に対する見方とも共通し,中国土着の宗教である道教もまた,中国仏教の研究者によってようやく認識されだした。仏教の疑経と道教経典に対する目下の人々の関心には共通する意識があることが認められる。一方,欧米人による中国仏教の研究にあっては,日本で盛んな教義上の議論などよりも,むしろ社会現象としての中国人の信仰という側面により多くの関心が注がれてきた。その結果,かつては異端的なものとして退けられる傾向にあった疑経や,土俗的な迷信とほとんど同義に扱われていた道教は,むしろ欧米においては早くから注目された。本稿は,日本における疑経研究の現状を報告し,欧米の研究との視点の違いを踏まえ,そこに含まれるいくつかの問題点を抽出し,今後の研究への展望を提言するものである。
著者
宗方 比佐子
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
no.3, pp.49-55, 2000

本研究は,職業意識の日中比較研究の一環として,日本と中国で使用可能な職業興味尺度の開発を目指して行われた予備調査の結果を分析したものである。日本では,これまでに職業興味尺度が多数開発されてきたが,その多くは米国で提案された職業興味の構造モデルに依拠するものであり,適用に際してはいくつかの問題点が指摘されている(宗方,1999)。今回用いた職業興味測度は,日本および中国の産業構造や労働市場を考慮して収集された独自の職業興味項目から成るものである。この予備的に作成された職業興味測度を中国と日本の大学生と高校生に実施した結果に基づき,両国の職業興味構造の違いを比較検討したところ,職業興味の構造は両国で共通部分はあるものの社会体制の違いを反映した部分においては明確な違いが現れた。これらをもとに,両国に適応可能な職業興味尺度を開発するために克服しなければならない今後の課題を明らにした。
著者
宗方 比佐子
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.77-88, 2000-03-31

職業興味の構造に関する研究は,長い間Holland(1966)のRIASECモデルを中核としで展開されてきたが,最近になって2次元モデル,8角形モデル,球形モデルなど,いくつかの新しい理論展開がみられた。本稿では,職業興味構造に関する理論モデルの変遷を概観し,筆者らがこれまでに実施した職業興味調査の結果を,RIASECモデル,2次元モデル,8角形モデルのそれぞれの理論枠組のもとで再分析した。各モデルの適用可能性を検討し,日本の研究に適用する際の問題点を明らかにした。加えて,日本における職業興味研究の今後の課題を提示した。
著者
山中 正樹
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.A23-A37, 2001-03-31

「千羽鶴」は、戦後川端文学の中でも特に高い評価を得た作品である。発表直後から、川端のいわゆる「古典回帰宣言」の文脈の中で、日本の古典や伝統美を描いた作品であると論じられて来た。確かに「千羽鶴」には「美しい」ものが描かれている。しかし同時に「醜い」ものも「美」と同様、あるいはそれ以上に描き出されている。いままでの<読み>では、「醜」は「美」をきわだたせるための相対的要素であるという視点からの論及が多かった。しかしそれは「醜い」ものを「美しいもの」に転化する、あるいはそう見せてしまう川端の戦略によるものである。「千羽鶴」の基底部には「ちか子のあざ」という「醜い」ものが厳然としてあり、それが菊治の意識を<呪縛>すると同時に、読者の<読み>すらも支配しているのである。本稿は、そうした「醜」というコードから「千羽鶴」を読み直す試みである。
著者
島田 昌彦 成田 弘成
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.A1-A17, 2002-03-31

サミュエル・P・ハンチントン著『文明の衝突』で予想するとおり、二一世紀は、世界の主要な八つの文明が抗争する時代になりつつある。世界が悲劇的な状況に陥ることを防ぐためにも、その中の一つとノミネートされている日本文明のこれからの義務責務とは何か明らかにしなくてはならない。「日本文明」の追究を最大の課題とする「日本学研究」はその組織的な研究体制を確立するため、国家の営為として「日本学研究大学院大学」を創設、併せて、「日本学研究国際学術シンポジウム」を開催、世界の英智を結集、地球の危機の克服に各国文明を超えて献身しなくてはならない。
著者
森本 司
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.93-103, 2002-03-31

この小論では,個別の言語活動のうち,対話をもとに考えられた理解モデルを,理解の「対話モデル」と呼ぶ。また,テキストにおける理解から考えられた理解モデルを,理解の「テキストモデル」ということにする。そして,両者がP.リクールにおいてどのような関わりを持つかを考察する。リクールの理解モデルが解決しようとしたことは少なくとも二つある。一つは,理解の「テキストモデル」を「対話モデル」から切り離したことであり,もう一つは解釈の対象(テキストの世界)を作者から解放したことである。一つ目の分離によって,作者からのテキストの解放が可能になった。この小論の目的は,リクールが理解の「対話モデル」と「テキストモデル」を理論的に切り離し,分断しすぎた点を問題にしたいということである。基本路線ではこのリクールの主張に従いつつ,細部に疑問が残ることを示した。